最高裁判所第一小法廷 平成2年(あ)385号 決定 1993年6月24日
本店所在地
神奈川県藤沢市藤沢五五六番地
富士興業株式会社
右代表者代表取締役
関根愼
本籍
神奈川県藤沢市南藤沢四番地の一一
住居
同県辻堂太平台二丁目一番三五号
会社役員
関根貞雄
昭和三年四月一四日生
右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成二年二月二八日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
本件各上告を棄却する。
理由
弁護人東徹、同寺尾正二、同三野研太郎、同太田孝久、同大堀昭二の上告趣意は、違憲をいう点を含め、その実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達 裁判官 大白勝)
平成二年(あ)第三八五号
○ 上告趣意書
被告会社 富士興業株式会社
被告人 関根貞雄
右の者らに対する法人税法違反被告事件につき、弁護人らの上告趣意は次のとおりである。
平成二年一〇月三一日
右主任弁護人 東徹
弁護人 寺尾正二
弁護人 三野研太郎
弁護人 太田孝久
弁護人 大堀昭二
最高裁判所第一小法廷 御中
目次
上告趣意第一点
原判決は、憲法三一条、三二条、九九条の各規定に違反しているので破棄を免れない。・・・・・・一四一九頁
上告趣意第二点(その一)
原判決には、刑訴法三八二条の二第三項後段の疎明を欠くとして証拠請求を却下した違法がある。
(刑訴法四一一条一号)・・・・・・一四二八頁
上告趣意第二点(その二)
原判決には、「集計メモ」及び売上表について刑訴法三八二条の二にいう「やむを得ない事由」に当たらないとして却下した違法がある。(右同)・・・・・・一四三二頁
上告趣意第三点
原判決は、法人税法二二条(財産増減法)の適用を誤った違法がある。(右同)・・・・・・一四三五頁
上告趣意第四点
原判決は、審理不尽の結果判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認及び刑の量定の不当があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する(刑訴法四一一条三号・二号)
一、刑訴法三九三条一項本文により職権で取調べる必要があるか否かについて、その必要がないとした原判決(原判決書第一の二)の誤り・・・・・・一四三七頁
二、第一審で取調べ済みの証拠にもとづく弁護人らの事実誤認の主張について、いずれも理由がないとする原判決(同第二)の誤り・・・・・・一四九九頁
三、原判決書「第三 控訴趣意書第二の一の7の被告人夫妻の検面調書の作文調書性と題する主張について」の誤り・・・・・・一五〇二頁
四、原判決書「控訴趣意書第二点(量刑不当の主張について)」の誤り・・・・・・一五〇五頁
上告趣意第一点
原判決は憲法三一条、三二条、九九条の各規定に違反しているので、破棄を免れない。
一、1 弁護人らは原審に提出した、控訴趣意書の五~六頁において、次のような趣旨の主張をした。
(一) 被告人は拘留中小西検事から、「関弁護人らは共産党系(事実は同弁護人らはいずれも共産党員ではない)故早く別の弁護人に取り代えるように」と強く勧告された。また中島検事も被告人の長男晋(以下晋という)に対し右と同じ勧告をしたので、被告人はこれに応じて同弁護人らを解任した。ところが被告人らは適当な後任の弁護人を見付けることができなかったのでその旨を中島検事に伝えたところ、同検事は検察官出身の神宮寿雄弁護士外一名を推薦した。そこで被告人は右神宮弁護士と、さらに別のルートから推薦された同じく検察官出身の石井春水弁護士の両名に新たに弁護を依頼した。(右のうち「……強く勧告された」及び「…右と同じ勧告をし、」とあるのは、後述のとおり「……強要された」及び「……右と同じ強要をし、」というのと同意義である)。
(二) 被告人は神宮弁護人に対し、ほ脱所得が検察官に対して一旦認めた「一年に一億、三年で三億円」というような巨額なものではない旨を述べて右の数字を争いたいと申し出たが、同弁護人から「私は検察のO・Bなので、検察官の顔を潰すようなことはできない。私の言うことを聞いて全部認めなければだめだ。」と強く言われたので、それを断念して、さらに検察官の意のままの調書の作成に応じた。
(三) 第一審公判においても、被告人は神宮弁護人から「裁判官に対してはハイハイと答えて、事実を認めるように」と指導されたので、そのとおり実行した。その結果被告会社は罰金三五〇〇万円、被告人は懲役一〇月の実刑の判決言渡しを受けた。被告人は直ちに被告会社とともに控訴した。
2 弁護人らは控訴趣意書の内容が質量とも膨大なので、原審の第一回公判期日に提出すべく、別紙一のような「控訴趣意の説明書」をあらかじめ作成した。これは標題は「説明書」であるが、その内容は補充書と申してもよいほどの重要なものを含んでいるのである。本弁護人らはこれを平成元年一〇月二日の原審第一回公判期日において、原審の許可を得て三野弁護人が朗読し、その書面を原審に提出し、同時に立会検察官にも交付した。そして平成二年二月二八日に本件の判決があったが、弁護人らはその直後記録の謄写を申請し、それが同年三月下旬に出来上った。そこで早速それを検討したところ、右の第一回公判調書(手続)中に、三野弁護人が前記説明書を朗読したことが記載されておらず、またその説明書を右調書に添付することもされていないことを発見した。
そこで東主任弁護人が同年四月始めに当該の東京高裁第一刑事部へ赴いて、なぜ右のような処置が行われたかについて問いただした。ところがそのときには既に本件記録が最高裁に送付されていて、右の公判調書を訂正するすべがなく、また同調書を作成した山本和親主任書記官が平成二年一月一日付けで長野地裁に転任していたので、右の点に関する即答が得られなかった。そこで同書記官の後任の永瀬進主任書記官に対し、至急に山本書記官に連絡して、右の調書不記載等の経緯を聞いてほしいと要望した。しかるところそれより数日後、永瀬主任書記官より東主任弁護人に対し、「山本書記官が右の公判調書の作成に当り、原審の朝岡智幸主任裁判官より、『控訴の趣意は控訴趣意書及びその補充書で尽きているから、右の説明書を朗読した事実を公判調書に記載せず、また同説明書を調書に添付することもしないように』という指示があったので、それに従って記載も添付もしなかったのである」という回答に接した。
これは誠にけしからんことであり、公判廷で行われた手続をそのまますべて公判調書に記載するべき職責のある山本主任書記官が、いかに主任裁判官から指示があったとは言え、その指示に唯々諾々と従ってその記載等をしなかったというのは、重大な職務の放棄であって、刑法一五六条の公務員の虚偽公文書作成に該当し、その責任は誠に重大である。それにもまして卑劣なのはその指示をした朝岡主任裁判官である。
前記説明書の八頁~九頁には、本件の検事による弁護人の交替強要問題につき次のように記載されている。
「第一に、捜査段階において検察官は、被告人の弁護人の選任に干渉しています。即ち、被告人が選任した関一郎・豊島昭夫・岡本秀雄の三名の弁護人は、被告人らに対する検察官の執拗な強要に屈して、被告人らが解任を申出たことにより、やむなく辞任しています。その強要もひどいもので、捜査が開始されてから数日後に始まり、その内容に至っては、『関弁護士らは共産党系であり、今後も使うなら何時解決するか分からないぞ』とか『何であんな弁護士をつけているんだ、早く別の弁護士にとりかえろ』などというものであり、『弁護士に知り合いがいない』というと、『そんなことは心配しなくてもよい。こちらが考えてやる』ということで、被告人は、検察官から、同じ検察官出身の神宮弁護士らの推薦を受けて、同弁護士らを新たに弁護人に選任したものであります。このように被告人の要請を受けて検察官が弁護人(しかも検察官出身の)を推薦するということは、検察官が絶対にしてはならないことであることは言うまでもありません。これでは被告人は検察官にすがって迎合するだけにならざるをえません。(右検察官の行為は憲法第三七条第三項・同第三四条により、保障されている弁護人の選任権の侵害で、明らかに憲法違反であるというべきであります)」
恐らく右の主張が朝岡主任裁判官にとり受け入れ難いものがあったのであろう。そこで同裁判官が右の事実に対する判断を回避するために、山本主任書記官に対し、公判調書に右説明書の朗読の事実の記載並びにその書面の添付をしないよう指示したものであると思われる。
しかし一旦原審が弁護人らに対し同説明書の朗読とその書面の公判調書への添付を許可した以上、その事実をそのまま公判調書に記載すべきが当然であったのに、それを殊更行わないように山本主任書記官に指示するとは一体何事であるか。この点に関する朝岡主任裁判官の責任は、山本主任書記官のそれ以上にきわめて重大で、右の公務員の虚偽公文書作成罪の教唆犯であるというべきである。
3 原審の第二回公判期日に、東主任弁護人は、「証拠調についての決定に対する異議申立の理由の要旨」の二の1において次のような趣旨のことを述べている。
(一) 検察官が捜査段階において勾留中の被告人に対し執拗に関弁護人らの交替を強要し、被告人がそれに屈して同弁護人らを解任した。ところが検察官は被告人から代りの弁護人の推薦方の要請を受けるや、同じ検察官出身の神宮、権藤の両弁護士を推薦し、その結果被告人は神宮弁護士及び別のルートによる石井弁護士を新しい弁護人に選任した(ただし石井弁護人は名目上の弁護人に過ぎなかった)。
(二) 右選任の直後神宮弁護人に対し、「検察官が言う『年間一億、三年三億』という数字はあまりに多額で、自分はそんなに多額の売上除外をしていないから右の数字を争いたい」と申し出るや、神宮弁護人は、「保釈にしてもらうためには数字を争ってはダメだから、検察官の主張を全部認めよ」と強く被告人に指示し、同人はこれに応じて検察官の主張のとおりの数字を認めた。
(三) 起訴後も神宮弁護人は「起訴事実を認めて一切争うな」と強く被告人に指示したので、被告人は再び右指示のままに、第一審の公判において起訴事実を全部認めて結審した。ところが被告人は懲役一〇月という実刑判決を受けた。
(四) 以上のような経過で、被告人は検察官の被告人に対する弁護人依頼権の侵害という憲法三四、三七条三項に違反する行為により弁護人の交替を余儀なくされ、そのうえ後任の神宮弁護人から、捜査及び第一審公判の段階で一切の数字を争うなという口封じをされたので、集計メモ等の反証を原審に提出する機会を一切奪われた。
4 原審の第三回公判において
(一) 被告会社代表者関根慎は次のようなことを供述している(記録五丁表~六丁表)。
<1> 被告人の逮捕・勾留直後から検事より弁護人の交替強要が行われて、被告人が弁護人を交替せざるを得なくなった。
<2> 被告人が新しい検察官出身の神宮弁護人より「私は賢察のO・Bだし、検察官の顔をつぶすようなことは絶対にできない。私の言うことを聞いて全部やらなくちゃだめだよ、」と強く言われた。
<3> そこで被告人は第一審公判が終るまで、全く操り人形のようになって、口封じをさせられた。
(二) 又、被告人は次のようなことを供述している(記録五四丁裏~五九丁裏)。
<1> 被告人が検事から弁護人の交替をしつこく迫られて、本当に崖っぷちに追い込まれたような気持ちになった。
<2> 晋も数回にわたり、検事から弁護人の交替を強要された。又被告人の知人の町田敏男と廣瀬雄一も、検事から被告人に対し弁護人交替の説得の依頼を受け、検事がわざわざ被告人の接見禁止を解いたうえ、右の両名が被告人の面会に来た。
<3> そこで被告人はいよいよ追い込まれて弁護人の交替強要に応ぜざるを得なくなったが、検事の交替強要があった後、関弁護人が面会に来た三度目にようやく同弁護人に対し辞任して欲しいと申し出た。すると同弁護人は大変立腹したが、今は被告人の身柄を出すのを優先すべきであると言って、涙を飲んで引下がって辞任してくれた。
<4> 晋が被告人に代って検事より推薦された元検事の神宮弁護人を新たに弁護人に選任した。
<5> 同弁護人は被告人に対し、第一回公判においては最初から起訴事実を認めて、絶対に逆ったり、反対意見を言うなと言うので、被告人は同弁護人に一切を委せるの外なかった、そして操り人形のようになって、口封じをさせられた。
5 弁護人らは弁論要旨(その一)の「三、法律論について」の中で次のような趣旨のことを述べている。(一〇頁~一二頁)
被告人らは、第一審公判においては、公訴事実を争ったほうが有利か、これを認めた方が有利かを判断する以前に、これらの判断をする自由がなかった。端的に言えば、被告人らは本件について真実を述べる機会を検察官により奪われていたのである。その一つの理由は、検察官の強要による、被告人らが選任した弁護人の解任であり、検察官推薦の元検察官である弁護人の弁護人就任である。このような経緯で選任された弁護人が、公訴事実を争うことをしないのは当然である。
二、右の1ないし5を総合すれば、原審は捜査並びに第一審手続において、検事が被告人に対し弁護人の交替を強要し、そのうえ、新弁護人に検察官出身の弁護士を推薦したという。古今未曾有の憲法違反が行われたという事実を弁護人らが主張したことを十分に知っていたのである。にもかかわらず、原判決は、この問題について、意識的に判断を回避し、その結果として右の憲法違反行為をすべて容認した。そして単に、「被告人らは神宮弁護人を選任する以前から自白していて、第一審の判決時まで終始その態度を変えていなかった」(原判決書六丁表)というように、極めて皮相的な形式的判断をするのみであった。
このような原審の意識的な本件の憲法違反に対する判断の回避と、その結果としての右違反の容認は絶対に誤りである。そこで弁護人らは当審において、右の憲法違反の事実を強く訴えようとするものである。
三、捜査並びに第一審公判を通じての、検察官による被告人に対する弁護人依頼権の侵害(憲法三四条、三七条三項違反)の経過
被告人及びその妻関根チヱ子(以下チヱ子という)は六二年一一月一八日、本件法人税法違反事件容疑で逮捕され、勾留された、被告人らは弁護人として、関一郎、豊島昭夫、岡本秀雄の三弁護士を選任していた。ところが、右捜査を担当した横浜地方検察庁の検察官中島鈆三及び小西敏美の両検事は、被告人が一旦自白しても、その後になってこれを撤回させないようにして、あくまでも自己の捜査目的を貫徹しようと考えた。そのためには被告人らをして、本件につき強硬に事実を争う態度を示している前記三弁護人(記録一五八丁の勾留理由開示の弁護人らの意見書参照)を解任させて、自分たちの息のかかった新しい弁護人に交替させるのほかなしと決意し、両名謀議のうえ、右勾留直後の段階から、被告人及び晋に対し、執拗に前記三弁護人の解任を強要した。即ち、両検事は、被告人に対し、「関弁護士らは共産党系の弁護士だ。今後も使うならば何時解決するかわからないぞ」とか「何であんな弁護人をつけているんだ。早く別の弁護人に取り替えろ」とか「弁護人を取り替えなければ一期ごとに起訴してやる。そうなればいつ終るかわからないぞ」とか「警察の上に我々がいるんだ。我々の言うことを聞かなければ、役員を皆ぶち込んで会社をガタガタにしてやる」等と脅迫的言辞を弄し、弁護人の解任を強要した。又、中島検事は晋をわざわざ横浜地検に数回呼出し、同人の対し「パチンコ屋の上に警察がいて、その上に検察というものがあるんだ。商売の方はさじ加減でどうにでもなるんだぞ」「何であんな弁護人を付けているんだ」「関弁護士等を辞めさせなければ、両親は何時出られるかわからないぞ」等といって、弁護人の解任を強要した。中島・小西両検事の執拗な解任工作は右にとどまらず、被告人の友人である神奈川県遊技場協同組合理事長町田敏男及び神奈川県福祉事業協会会長廣瀬雄一の両名にも及び、同人らを接見禁止中の被告人にわざわざ面会せしめる等して、同人らを利用してまで弁護人解任の目的を果たそうとしたのである(六二年一二月三日付裁判官の小西検事に対する求意見書-記録七八丁、同日付小西検事の「然るべく」とする意見書-七八丁、神奈川県遊技場共同組合理事長町田敏男及び神奈川県福祉事業会長廣瀬雄一連名の横浜地方裁判所宛六二年一二月二日付被疑者関根貞雄に関する接見一部解除申立書-七八丁を参照)。
こうした経緯で、被告人らとしても、もはや弁護人三名の解任をせざるをえない状況に追い込まれた。しかし、被告人らとしても弁護人三名を替えるとしても、他に弁護士に知合いがいないことから、その旨を中島検事に伝えると、同検事は「そんなこと心配するな。こちらが考えてやる。」といって、同じ検察官出身の神宮寿雄弁護士を弁護人に推薦した。そのため被告人らは右神宮弁護士を新たに弁護人に選任することになった。なお、右三弁護人とも辞任という形をとってはいるが、その実質が検察官の強要による解任であることは勿論である。
このようにして、いわばひもつき的に新弁護人となった神宮弁護人と、更に別のルートにより選任した同じく検察官出身の石井春水弁護士を新たに弁護人に選任し、右二名の弁護人らのもと、その後の捜査と第一審の公判手続が進められた。同弁護人らは、被告人らに対しては、最初から起訴事実を認め、証拠も全て認めるようにとの方針を強く指示し、被告人らが一旦検察官に対して認めた「一年一億、三年三億」というほ脱所得を争いたい旨申出ると、神宮弁護人は「私は検察のOBだ。検事に恥をかかすわけにはいかん。だから、逆らったり反対意見を言ってはだめだ。何でもはいはいと言って心証を良くすることが一番いいことだから」等と言って、被告人らに対し口封じをした。そして神宮弁護士は第一審の公判に先立って被告人と綿密な打合せを行ない、その結果右の公判においては、被告人は同弁護人から指示されたとおり、同弁護人に問われるままに右打合せのとおりのことを供述した。このようにして、弁護人交替によって、被告人らは一切の防御方法が封じられ、いわば操り人形となって、その後の第一審手続を甘受するのにやむなきに至ったのである。
四1 以上述べたような、検察官による弁護人解任の強要及びそれに代わる新弁護人のひもつき的選任という、本件におけるいわゆる弁護人選任権の侵害であり、憲法三四条、三七条三項に当ることは勿論、同時にそれは、刑法一九三条の公務員職権濫用罪に該当する、まさに犯罪行為そのものでもある(弁護人らは中島、小西両検事による右の行為は、刑事訴訟の当事者主義の訴訟構造を空洞化し現行制度の根幹を揺るがす由々しき問題であり、とうてい看過できないとの観点から、既に平成二年九月三日、検察官適格審査会に対し、両検事は罷免されるべきであるとして審査を求める申立をした。その申立内容を参考までに別紙二として添付する。)
このような憲法違反行為、犯罪行為に支配された第一審の訴訟手続は、とうてい法にかなった適正な手続とはいえない。もはやその訴訟手続は適正手続の保障を定める憲法三一条に違反することが明白である。のみならず、現行当事者主義の訴訟構造のもとにおいて、訴追側の検察官によって被告人側の弁護人の選任が支配されて、検察官サイドの弁護人にすげ替えさせられ、実質において検察官の独り相撲に終るような裁判は、当事者主義の訴訟構造を完全に空洞化し、現行制度の根幹を揺るがす由々しい問題であるといわざるをえず、もはや裁判の名に値しない裁判であって、被告人の公正な裁判を受ける権利を侵害することが明らかであり、憲法三二条違反に当る。
2 ところが原審は、右に述べたような裁判の名に値しない、空洞化した訴訟構造のもとでなされた第一審の審理につき、それが憲法違反に当るかどうかの判断をあえて回避した上、その審理の結果を一〇〇パーセント容認した。そして弁護人らの立証を第一審判決後の情状のみに限るなどとして、前記憲法違反行為の存在等につき実質的な事実調べを全て拒絶したのである。
このような原判決は、第一審のそれと同じく、明らかに憲法三一条、三二条に違反するものである。その上右の原審の訴訟手続は、憲法尊重擁護義務を定めた憲法九九条にも違反することが明らかである。即ち裁判所は憲法が守られているかどうかを監視する義務がある。それがまさに憲法の番人たる所以である。したがって、原審が第一審における明白な憲法違反の存在を知り得た以上、当然その真偽を確かめるべきである。原審がこれを見て見ぬふりをすることは、裁判所自らが憲法をないがしろにするものであって、憲法九九条の定める憲法尊重擁護義務に違反するといわざるをえない。
3 右のような原審の憲法違反行為により、原審においては、本件における真実解明の途が全て閉ざされるに至った。もし原審のこのような行為がなかったならば、当然のことながら正当な事実取調のもとに、本件の事実誤認の実態が容易に解明できた筈である。それ故原審の右の憲法違反が原判決に影響を及ぼすことは明白である。
上告趣意第二点(その一)
原判決には、刑訴法三八二条の二第三項後段の疎明を欠くとして証拠請求を却下した違法がある(刑訴法四一一条一号)。
即ち、原判決は控訴趣意第一点(事実誤認の主張)についての項の一の末尾において、「以上の通り、弁護人らが当審において取調べを請求する証拠(書証並びに被告人および被告会社代表者質問のうち、原判決後の情状に関するものないしは部分を除く)は、いずれも同法三八二条の二第三項後段所定の疎明を欠くものであって、採用の限りでなく、これらの証拠のよって証明することのできる事実を援用する論旨は、同条第一項、三八二条による控訴趣意として不適法である。」というのである。
一、しかしながら、同条後段にいう疎明の添付とは、なにも控訴趣意書に疎明資料として体裁を整えたものが添付された場合に限らないのであって、控訴趣意書の記載自体や公判期日における釈明、事実の取調べにおける被告人質問その他記録に現われた諸般の状況に照らして判断すべきものである。このことは通説および実務の認めるところである。
団藤・新刑訴法要綱七訂版五三一頁
青柳・五訂刑訴法通論(下)五七一頁
平野竜一・刑訴法三一八頁
柏木・刑訴法三六九頁
ポケット刑訴法新版(下)一〇八九頁
中野・法律実務講座刑事編一〇巻二四二五頁
松本時夫ほか条解刑事訴訟法八〇四頁
各参照。
これを本件についてみてみると、
1 控訴趣意書はその冒頭において、なぜ当弁護人らが当審で初めて事実誤認を主張しなければならないかについてご認識を得たいとして、その事由を包括的に述べている。
2 前述の控訴趣意の説明書の<6>において、被告人及び関根チヱ子の供述調書が検察官の作文調書である理由の第一として、捜査段階において検察官が被告人の依頼した弁護人らの交替を強要して、検察官の主張に迎合する元検事の神宮弁護人らを新たに選任させたことを挙示している。
3 同じく同<6>において被告人らが交替した神宮弁護人に「一年一億、三年で三億」というほ脱所得額を争いたいと申し出たところ、同弁護人から、一切争うなと強く指示されたので争うことができなかったこと等を具体的に述べている。
4 原審公判期日における事実の取調において、被告人及び被告会社代表者は、検察官によって弁護人の交替を強要されたこと及び一年一億、三年で三億という売上除外というスケールはあり得ない。せいぜい三年を通じ六〇〇〇万円を出ない旨を整然かつ誠意をこめて訴えている。
5 担当検察官によって、弁護人の交替が強要されたことをうかがわせる一連の異常な行動の徴表として、訴訟の記録中
(一) 検事中島鈆三自らの六二年一一月三〇日付接見禁止一部解除請求書(七五丁)
(二) 富士興業株式会社専務取締役関根晋の同日付横浜地方検察庁小西検事殿宛上申書(七七丁)
(三) 前記の同年一二月三日付裁判官の小西検事に対する求意見書(七八丁)
(四) 前記の同日付小西検事の「然るべく」とする意見書(七八丁)
(五) 前記の神奈川県遊技場協同組合理事長町田敏男及び神奈川県福祉事業協会会長廣瀬雄一連名の
横浜地方裁判所宛六二年一二月二日付被疑者関根貞雄に関する接見等一部解除申立書(七九丁)
等が存在し、これらの疎明資料によって、捜査を担当した中島鈆三、小西敏美両検事が被告人の依頼した弁護人らを解任させて、検事に都合のよい元検事で先輩ないし同僚の弁護士と交替させ、これによりほ脱所得を争わせないように仕向け、もって検察官の捜査目的の達成をはかったという、前代未聞の職権濫用行為が行なわれたことが推知される。
二、かようにして、本件においては、検察官と気脈を通じた新弁護人によって口封じをされ、第一審において取調を抑えられた集計メモ及び売上表は、やむを得ない事由によって第一審において取調べを請求することのできなかった物理的ないし審理的不能の情況が存在し、その間被告人らには、過失の見るべきものがないことが疎明されたというべきである。
三、原審は、裁判官として平常心をもって公平にものを見ようとする態度さえあれば、前記のような担当の検察官による既存弁護人の解任と自己の推薦する元検事出身の弁護人への交替という異常行動により防御権を侵害された被告人の立場に理解を示すはずである。第一審の事実認定に疑いの目を向け、控訴審において新たな証拠の取調として、請求にかかる集計メモ及び売上表等を取調べてみなければ、事後審査審として安心できないと思うはずである。
四、しかるに、原審は弁護人及び被告人らが前記第一審の審理経過とほ脱額の誤認について必死に訴えているのにもかかわらず、強いて目を覆い耳を塞いで全く取り上げようとせず、かえって、いかにしたら控訴審の訴訟構造に関する小手先の論理にかこつけて問題点を避けて通ることができるかについてのみ腐心した形跡が顕著である。
即ち、原審は事実の取調の範囲を、第一審判決後の情状に関する部分に限定したうえ、事件についてなんでも言いたいことを言いなさいといった。第一審において被告人は検事サイドの弁護人に抑えられたため、ほ脱額を過大に認定されてしまったことを争っているのに、原審は、それに正対しては聴かないで、単に第一審判決後の情状に限定して聴いてやろうという。端的に言うと、第一審判決後にした寄付だけは情状としてみてやろうというのである。こんな切捨御免の裁判は、全く裁判の名に値しない裁判といわざるをえない。
五、以上要するに、原審が取調を義務付けられている証拠請求を、刑訴法三八二条の二第三項後段の疎明を欠くものとして却下したのは、判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反があって、これを破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。
上告趣意第二点(その二)
原判決には、「集計メモ」及び「売上表」について刑訴法三八二条の二にいう「やむを得ない事由」に当らないとして却下した違法がある(刑訴法四一一条一号)。
一、原審弁護人らは原審において、第一審で証拠調申請をしなかった「集計メモ」及び「売上表」について刑訴法三八二条の二第一項による取調の請求をした。
ところが原審は、被告人が右証拠を第一審で取調請求しなかったことは、同項の「やむを得ない事由」に当らないとして、弁護人らの右請求を却下した。そして、原審は「やむを得ない事由」に当らないとした理由について、「集計メモ」については関弁護人のもとに、「売上表」については検察官のもとに、いずれもあることを被告人は知っていたのであり、被告人の訴訟追行上の主観的意図はともかく、いずれも第一審において取調を請求することができたことが明らかである、と説示している。
二、しかし右判決は、本件の実態につきことさらに目をつぶった、余りにも形式的判断であり、その解釈を全く誤ったものといわざるをえない。確かに被告人において「集計メモ」及び「売上表」について、その存在自体は知っていたといわざるをえない。しかし問題は、それらが本件との関係において被告人にとり有用な証拠となりうるかの認識、即ち証拠価値の認識があったかどうかである。なぜなら、その認識がなければ、そもそも取調請求など出来ないからである。
しかして「集計メモ」が本件においていかなる意義をもつかは、財産増減法によるほ脱所得の計算ということに関連して、初めてわかることである。そして被告人らにおいて、国税当局ないし検察官が、本件のほ脱所得の計算を財産増減法にもとづいて行なっていることがわかるのは、第一審の段階になってからである。しかも「集計メモ」が本件の財産増減法によるほ脱所得の計算との関連で、有用な証拠となりうるか否かは、検察官提出の証拠である大蔵事務官作成の預金調査書・金銭信託調査書の内容の検討、及び「集計メモ」に記載のある預金等についての具体的な銀行調査を経て初めてわかることである。ところが既に述べたように、被告人夫妻が逮捕・勾留された直後から、本件の捜査を担当した中島、小西両検事による被告人らに対する弁護人交替の強要工作が始まり、その結果、関弁護人ら三名の解任と、その後任として、これまた右検事の推薦による検察官出身の弁護士の弁護人選任という、検察官による前代未聞の憲法違反行為・犯罪行為が介在する事態となった。しかも、その新弁護人である神宮弁護人においては、被告人らに対し、一切数字を争わせず全ての起訴事実を認めさせ、いわゆる口封じを行なったのである。結局第一審の捜査・公判の手続全体を通じ、こうした弁護人の交替による口封じの問題に直面し、被告人において、もはや「集計メモ」と本件との関わりすら全く思い及ばない情況であった。したがって、検察官提出の前記各証拠を吟味し、「集計メモ」に関する具体的銀行調査の作業を始める等ということは全く不可能であった。それ故、第一審の段階において被告人らにおいては、「集計メモ」が本件との関連で有用な証拠となりうるとの認識など全くなかったのである。
三、被告人らは第一審判決後において、初めて弁護人交替による口封じの問題から解放されることになった。そして、その段階になって、ようやく検察官提出の前記各証拠を徹底的に吟味できる機会をもつことになった(第一審段階では、新弁護人からは「素人が見てもわからないものだ。見る必要もない。」といわれ、その内容を見ることすら許されなかったのである。)このようにしてようやく「集計メモ」が本件と重大な関わりをもつことを知るに至り、直ちに具体的な銀行調査に取り組むことになった。その調査の結果、本件は財産増減法の基礎となる資料が正確性を欠く、いい加減なものであり、国税当局や検察官の言う「一年一億、三年三億」という本件ほ脱所得のスケールが全くでたらめであることを証明しうる確信を得るに至った。
その当然の結果として、もはや、財産増減法のみで本件ほ脱所得を算定すること自体が問題であること、そうであれば、もう一つの本来の算定方法である損益計算法での吟味、即ち、「売上表」をもとにした損益計算法の検討を行なう必要がある、ということになった。このように「集計メモ」の吟味を通じて、初めて「売上表」が本件において、被告人にとって有用な証拠となりうるとの認識をもつに至ったのである。それ故、第一審の段階では、被告人において「売上表」の証拠価値の認識などは全くなかったのである。
四、いずれにせよ、前述のような弁護人の交替による口封じという前代未聞の憲法違反行為、犯罪行為の介在する本件において、被告人らが「集計メモ」「売上表」の存在自体を知っていたとしても、その取調を請求できなかったことについては、被告人らに全く帰責事由ないし過失がないのである。そうである以上、本件においてはまさに刑訴法三八二条の二第一項の「やむを得ない事由」に当たると解すべきなのである(最高裁決定六二年一〇月三〇日法曹時報四二巻八号平成二年八月号参照)。
しかるに、原審が集計メモ及び売上表につき、弁護人らの取調請求を刑訴法三八二条の二第一項にいう「やむを得ない事由」に当たらないとして却下したのは、同条の解釈適用を誤った結果であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することになると言うべきである。
五、右の件に関し、原審の検察官は答弁書の一の末尾において、六二年一〇月三〇日の最高裁第二小法廷の決定を援用して、「被告会社や被告人が原審において新しい事実誤認の主張をし、そのために集計メモや売上表等の証拠調べの申請をするのは、右決定の精神に照らしても許されない」と主張し、原審も右最高裁の決定を念頭においた上で、取調の却下決定を行なったもののように見受けられる。
最高裁の右決定の要旨は、「弁護人が控訴審で新たな証拠の取調べを請求するにあたり、その事情として、被告人が第一審では量刑上有利に参酌してもらったほうが得策であると考えて事実を認めていたところ、懲役刑の実刑判決の言渡しを受けたため控訴審で事実を争うに至った旨主張しても、そのような事情は刑訴法三八二条の二第一項に言う『やむを得ない事由』に当たらない」というのである。そして右の判例の事案は、第一審では右のような事情により事実を認め、そのため被告人に有利な証拠を提出しなかったが、実刑判決に処せられたため、控訴審で新たな自己に有利な事実を主張し、その裏付証拠を提出しようとしたものである。これは典型的ないわゆる投機的防禦というべきものであって、その防禦の選択は全て被告人の任意の意志にもとづくものである。
これに反し本件では、被告人らにおいて、「集計メモ」や「売上表」が自己の有利な反証になるということなど全くわからぬまま、しかも、前述のように、検事により弁護人の交替を余儀なくされ、検事の息のかかった、新しい弁護人らによる完全な口封じをさせられるという前代未聞の憲法違反行為・犯罪行為の介在によって、それらの反証提出の機会を強制的に奪われたのであって、右の最高裁決定のように、被告人が任意に投機的防禦の選択を行なった事案とは全然異なるのである。したがって、原審が最高裁の右決定を念頭において、本件が右の決定の事案と同様であるかのように速断して却下決定をしたとするならば、それは、根本的に誤っているのである。
上告趣意第三点
原判決は、法人税法二二条(財産増減法)の適用を誤った違法がある。(刑訴法四一一条一号)
一、原判決は、原審において弁護人らが主張した「集計メモ」等にもとづく検察官認定洩れの問題、あるいは「役員借入金」の問題(金の売却代金に関する検察官の認定違いの問題を含む。)等につき、財産増減法のもとでは、それらの金額のいずれもが、修正貸借対照表の「負債の部」の勘定科目に計上されるが、その同額が「資産の部」の勘定科目にも計上される。したがって、右認定洩れ分について、新たに計上するにしても、「資産」「負債」の両方の勘定科目に同額を計上することになるし、また役員借入金の分を本件所得計算から除外するとしても、「資産」「負債」の両方の勘定科目から同額を削除することになり、いずれにしても、これらの金額の多寡は差引当期所得金額には影響しない旨説示する(原判決書二六丁表、二〇丁裏、二八丁裏等)。
二、しかし右の説示は、財産増減法による期間的利益(当期所得)の算定に対する全くの無理解にもとづくものであり、明らかに財産増減法の適用を誤ったものである。即ち、財産増減法における期間的利益(当期所得)は、期首から期末に至る一年間の時の経過とともに「資産」「負債」がそれぞれどのように増減・変動していくかによって常に影響を受ける。例えば「役員借入金」という一勘定科目をとっても「負債の部」に計上される金額は、新規の借入れもしくは貸主への返済がない限り、期首・期末同額である(なお、一般的には、企業が外部から資金を借入れる場合は、貸主への約定利息が発生する。したがって、期首と比べて期末には、その約定利息分だけ「負債の部」の金額は増額することになり、期首・期末が同額であるとは言えない。しかし、本件の場合は、役員借入金といっても、役員個人からの借入れの事実もなく、したがって当然のことながら、貸主に支払う約定利息の発生もない。それ故、この点は考慮する必要がなく、常に期首・期末同額ということになる。)しかしそれに対応する「資産の部」の金額は、右役員借入金を原資として資産運用がなされる限り常に運用益を生みだすから、期末は期首より増額する。このように「資産」「負債」を把握することによって初めて、正しい財産増減法による期間的利益を導くことができるのである(例えば上告趣意第四点の一の2(一)(2)<3>、六七頁参照)。
しかるに原判決は、右に述べたような視点を全く無視し、「資産」「負債」は時の経過によっても不変であり、それ故期首・期末とも同額のものとなるから、期間的利益は変わらないという論理法則や経験法則に違反する致命的な誤りを犯している。その結果、当然のことながら、本件ほ脱所得金額の確定においても判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認を生じている。
このような原判決の誤りの具体的指摘については次の「上告趣意第四点の一の2(一)(二)(三)」等で詳述するが、いずれにせよ、財産増減法の適用が正しく行なわれていれば、このような事実の誤認は絶対に生じ得なかったのである。
三、ところで、ほ脱所得金額の算定方法として、法人税法二二条は、損益計算法による旨を定めるが、同時に同条の趣旨として最高裁判例は、損益計算法によることが著しく困難もしくは不可能な場合には、それに代わるものとして、例外的に財産増減法によることも許容している。かくして、本件において財産増減法に依拠してほ脱所得金額の算定を行なうことが許容されるとしても、財産増減法の正しい理解にもとづいて、その適用が正しくなされることが当然の前提である。しかるに原判決は、前述のように財産増減法に関する正当な理解を有しないまま、その適用を誤ったものであるから、同条違反であり、かかる法令違反をこのまま見過ごすことは、誤りを正義と強弁して、いたずらに被告人を犠牲に供するものであるから、著しく正義に反する。そこで原判決は刑訴法四一一条一号により破棄されるべきである。
上告趣意第四点
原判決は、審理不尽の結果、判決に及ぼすべき重大な事実誤認及び刑の量定の不当があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する(刑訴法四一一条三号・二号)。
一、刑訴法三九三条一項本文により、職権で取調べる必要があるか否かについて、その必要がないとした原判決(原判決書第一の二)の誤り
1(一) 原判決は、更に、弁護人らが原審において取調を請求した証拠(書証並びに被告人及び被告会社代表者質問のうち、第一審判決後の情状に関するものないしは部分を除く)について、刑訴法三九三条一項本文による職権取調についても、その必要性がないとして、検察官の同意ないしは異議のなかった証拠を除きその取調の請求を却下した。
その理由は、要するに、弁護人らの主張については「本件は財産増減法により所得を算定したもので、所論は、財産増減法に対する無理解ないしは誤解に基づく主張に過ぎず、右主張をもってしては、本件対象年度の所得の減少をもたらさないことが明らかであるから、主張自体失当というべく、叙上の各証拠を取調べるまでもない。」(原判決書七丁裏)というのである。そして原判決は、更に「理由1ないし7」をあげ、いわば各論的にその根拠を述べている。
しかし、原判決が職権取調の必要がないとした唯一最大の核心的理由である「右主張をもってしては本件対象年度の所得の減少をもたらさない」とする点は、上告趣意第三点において述べたとおり、原審の財産増減法に対する無理解ないし誤解に基づく判断であり、全くの誤りである。財産増減法の正しい理解からすると、逆に「本件対象各年度の所得は控訴趣意書で記載したとおり減少する」ことが明らかなのである。
(二) その根拠は追って詳述するが、とりあえずここでその要旨を述べると次のとおりである。
原判決は「所得の減少をもたらさない」とする根拠を「理由1ないし7」で述べている。即ち、
「理由5」において、弁護人らが、役員借入金に関し、もともと個人帰属資産である以上、共有に準ずる扱いをすべきであり、その概念そのものが虚構であるから、その金額を本件ほ脱所得の計算から除くべきだと主張したのに対して、仮に弁護人ら主張のとおりであるとしても、財産増減法による期間的利益(所得)の算定には役員借入金は何ら影響がないと判断し(原判決書二〇丁裏)、
また「理由6」において、検察官認定洩れの預金・金銭信託が存在し、それによって期首の財産が増大するから、期末から期首を引くと本件所得が減少するとの弁護人らの主張に対して、認定洩れの問題は、本件所得の計算上意味がないと結論づけ(同二六丁表)、
更に「理由7」においては、金の売却代金に関する検察官の認定違いは「役員借入金」の金額に影響し、ひいては本件所得にも影響するとの弁護人らの主張に対しても、そもそも「役員借入金」の金額の多寡は財産増減法による期間的利益(所得)の算定に何ら影響しないと判断し(同二八丁裏)、
いずれにしても弁護人らの主張をもってしては、本件所得の計算には何らの影響はない、と説示している。
しかし、原判決のこれらの判断は、明らかに財産増減法による期間的利益(所得)の算定に対する無理解からくるものである。即ち、財産増減法における期間的利益(所得)の算定は、期首と期末という二つの異なった時点間の純資産高の比較によって行なわれる。そして、期首と期末の純資産高はそれぞれ、
期首純資産高=期首資産-期首負債
期末純資産高=期末資産-期末負債
であるから、財産増減法における期間的利益(所得)の算定は結局
期間的利益=期末純資産高(期末資産-期末負債)
-期首純資産高(期首資産-期首負債)
という算式で計算される。
そこで、期首と期末という二つの時点の間において、その時の経過に従って、資産と負債がそれぞれどのように変っていくか、ということに従って、それがそのまま期間的利益(所得)の算定に直接影響を及ぼすことになるのである。
ところが、原判決は、一般的理論としてはその理由を右算式で示して説明しておきながら(例えば、原判決書二五丁表)、その具体的なあてはめになると、突如として豹変して、時の経過によって資産・負債がそれぞれどう変わるのか、あるいは一方は変わるが他方は変わらないのか、という点を全く無視して、この両者を全く不変・同額のものとして計算するという、致命的ともいうべき過ちを犯している。即ち、原判決は財産増減法の基本的理解及び適用を誤って、期間所得の確定という事実問題について根本的かつ重大な事実誤認をしているから、当審においてかかる誤りが是正されなければ、著しく正義に反することになる。
そこで、以下に、原判決が「所得の減少をもたらさない」ことの根拠として説示している「理由5ないし7」を最初にとりあげて、これについてその誤りが原判決の誤りの核心をなすゆえんを論じ、原判決が言及するその余の理由(理由4、1及び2」)について、あわせてその誤りを指摘する。
2(一) 「理由5」-役員借入金について
(1) 原判示(上段の<1>等の記号は弁護人らが加筆したものである。)
<1> 「関係証拠によれば、東京国税局は、銀行調査等により被告人らが多額の簿外債券を購入していることを探知し、被告会社及び被告人方への査察に入り、通帳、銀行の各種計算書、通知、書簡類等多数を差し押え、さらに調査を進めるなどした結果、本件対象年度期間中に多額の債券を購入したり、預金、金銭信託をしていることを把握するに至ったが、それらの資産は無記名のものが多く、かつまた、記名のものもほとんどが借名、仮名とみられるもので、それらの総額が甚だ多額に上ることなどからして、税務及び捜査当局は、これらの財産が誰に帰属するものか、その財産の発生源は何か、帰属者とされるものにその資産を形成するだけの収入源があるかを調査及び捜査の重要項目としていたこと、本件は、被告人ら個人の所得税法違反を問うものではなく、被告会社の法人税法違反事件を問題とするものであり、被告人らはそのことを熟知していたこと、さればこそ、被告人らは、当初当局側に把握されてしまった債券、預金、金銭信託につき、これらはすべて被告会社のものではなく被告人らの個人的資産であると主張していたこと、被告人らは、当局側から本件対象年度の昭和五七年七月一日から昭和六〇年六月三〇日までの間(以下、期末の年をもって何年度ということとする。したがって、対象年度は、五八年度、五九年度、六〇年度の三ケ年)に購入した本件の簿外債券等の購入資金の原資は何かと追及され、当初それらの原資は全部被告人ら個人の隠し預金を解約して充当したものであるとしていたが、更に当局側から隠し預金の生成原由は何かを追及され、その生成原由について、被告人夫婦が長年にわたり働いて貯めてきたお金、被告人らがそれぞれの実父から贈与され預金してあったお金、被告人が金の売買で儲けたお金などであると弁解していたが、本件の簿外債券、預金、金銭信託の額が甚だ多額で、これらの全部を被告人らの個人的資金で購入したり、預金したものであるとする具体的資産生成の原由や裏付け資料を明らかにすることができなかったことなどから、本件対象年度期間中に購入した本件の簿外債券等の購入資金は、乗り換え分のほか、その期間中の被告会社の売上除外金と従前から無記名、仮名、借名で預金してあったり、金銭信託にしてあった預金等を解約した金をもって充てたとし、これらの原資は、被告会社の売上除外金と被告人らの個人的資産を峻別することなる混合して一緒に運用をしていたものであると供述するに至ったので、国税当局は、本件の簿外債券、預金、金銭信託を被告会社に帰属するものとし、被告人らの出捐金分を被告会社の被告人らからの借入金として会計処理をすることとして所得の計算をしたこと、検察官もこれを踏襲して被告会社の対象年度の所得の計算を行ない、公訴を提起したことが認められる」(原判決書一七丁表~一八丁表)
<2>イ「所論は、被告人ら個人に帰属する財産につき、これを『役員借入金』という概念を用いて被告会社に帰属する財産として扱うのは誤りであるとして非難する。
しかしながら、前記のとおり、本件は、被告会社の法人税法違反事件につき税務調査及び捜査により探知された本件債券、預金、金銭信託の原資が何かが問題となり、結局それが被告会社の売上除外金と被告人らの個人的資産の混合運用によるものであるということになったことから、検察官及び原審は、混合運用分のうちの被告人らの個人的資産分を『役員借入金』として被告会社に帰属させているに過ぎず、被告人らに帰属する資産全部を『役員借入金』という概念を用いて被告会社帰属の財産として扱っているわけではない。」(同一八丁裏)
ロ「被告人自身、原審の公判廷において、被告人の個人的財産は約一〇億円位はあり、その内には被告会社の売上除外金と一体となって運用していたものとそうでないものがあり、被告人とチヱ子の個人的資産のうち被告会社の売上除外金と渾然一体として運用していた分が昭和五七年七月一日の時点で約二億一七〇〇万円位であり、それ以上の被告人らの個人的資産は被告会社に出していない、被告人らの個人的資産で債券に転嫁したものは、別途管理している、被告人らが、被告会社から受領していた役員報酬は、簿外債券の購入資金や被告会社の資金との混合運用には充当していなかったとし、本件対象年度の頃の役員報酬は一ケ月被告人が三〇〇万円、チヱ子が二八〇万円であったと供述しているのであり、被告人らが、被告会社の売上除外金と混合せずに個人的資産として管理運用していたものは、被告人らの個人的資産のままであり、この分については被告会社の本件法人税法違反事件の対象とすべきでないことは明らかである。」(同一八丁裏~一九丁表)
ハ「所論自体、被告人らは、被告人らの個人的資産全部を被告会社の資産と混合運用してきたとはしていないのであって、右『集計メモ』は、個人財産中の混合預金と金銭信託のみを記載したものであって、債券等他の財産については記載していないとし、記載されている預金、金銭信託中の国債、郵便貯金(「集計メモ」には、その他に個人的貸付金、預かり金等も記載されているとする。)については、被告人らの純然たる個人的資産として管理運用し、被告会社の資産とは混合して運用してはいなかったとし、また、『右集計メモ作成時点である昭和五三年一二月三〇日ころには、既に個人財産として被告人夫婦が有する簿外資産は約四億円にも達してしたのであり、その一部が右メモに記載されていたのである。』と主張し、いわゆる混合運用していない個人的資産については、検察官認定漏れの対象にはしていないのである(控訴趣意書二八、三三、三四の各頁)。」(同一九丁表・裏)
<3>イ「そして、ここでの課題は、被告会社の所得金額を財産増減法で算定する上で、混合運用した被告人らの個人的資産を、どのように会計上取り扱うのが妥当かということである。なるほど、所論の指摘するとおり、本件で混合運用された被告人らの個人資産につき被告人らと被告会社間で正式の金銭貸借契約が締結されたわけではないが、しかし被告人らがこれを被告会社に贈与したというわけではなく将来その資金を回収するといったことも否定し難い、そして、被告人らにおいて、被告人ら個人の資産を被告会社の資産として充当する意図をもって出捐した、いわゆる持込み資産については、それは被告会社に帰属するものとなり、それにより獲得・形成された資産も被告会社に帰属することになることは明らかであるが、単に被告人らの個人的資産を被告会社の資産と混合運用した場合についても、被告人ら個人の経済的活動よりも被告会社の経済的活動のほうが格段に大きいことからして、被告人らの個人的資産の運用を被告会社へ委ねたものとして、持込み資産と同様に(法律的には、消費貸借ないしは消費寄託にあたる。)、所得計算の上では、混合運用された資産全部を被告会社に帰属するものとして、資産の部にその分を含めて計上するとともに、被告人ら個人資産の出捐分を負債の部に『役員借入金』として計上して会計処理する方法は、被告人らに最も有利な処理方法であって、違法不当とは言えない。所論は、『借入金』という言葉にこだわるけれども、これを『借受金』、『預かり金』その他の言葉を用いようが、上記と同様の会計処理を行なうものであれば、被告人に不利、不合理な計算結果は出ないのである。」(同一九丁裏~二〇丁表)
ロ「なお弁護人らのいう共有に準ずる扱いというのも、被告人らの個人資産分は、被告会社に資産として帰属させず、『役員借入金』にも計上しないことになるから、資産の部と負債の部から同額を控除することになり結果は変わらない。」(同二〇丁裏)
ハ「また、『役員借入金』を虚構な概念であるとし、その金額を除くべきであるとする所論は(控訴趣意書五三ページ)、本件の修正貸借対照表の負債の部だけから『役員借入金』を削除すべきであるとする趣旨のようでもあるが、それが資産の額とも関係することは上記のとおりであり、仮に資産との関係を考えずに負債の部だけで考えるとしても、対象年度の三カ年とも同一金額が計上されている本件のもとにおいては、それが本件の財産増減法による期間的利益(所得)の算定上なんら影響を及ぼすものでないことは、後述の財産増減法の計算方法から明らかである。」(同二〇丁裏~二一丁裏)
ニ 「所論はまた、憲法三八条三項、刑訴法三一九条二項違反をいうけれども、『役員借入金』という勘定科目を儲け、本件修正貸借対照表に計上することはなんら不利益事実には当たらないから、所論は理由がない。」(同二一丁裏)
(2) 右原判示の誤り
<1> 原判示<1>について
原判決は、被告人らが、当局側から本件の簿外債券等の購入資金の原資である個人の隠し預金の生成原由を追及され、その生成原由について、被告人夫婦が長年にわたり働いてためてきたお金、被告人らがそれぞれの実父から贈与されて預金してあったお金、被告人が金の売買でもうけたお金などであると弁解していた旨述べている。
しかし、原判決のいう右の「弁解」が全くの弁解なのかどうかは、「個人の隠し預金」とされるものの生成原由について証拠調をしてみないと判らないことである。弁護人らは、原審において、売上除外金のスケールが第一審認定のそれとは全く異なって少額であること、その違いの原因が、本件簿外債券等の購入原審の内訳の認定、とりわけ被告人夫婦が長年にわたってためてきた金員(預貯金等)のスケールが非常に大きいことを認識しなかったことに問題があることを指摘し、その点を明らかにしようとしたのである。被告人らとしては、捜査段階では、手元資料を全く持ち合せない状態であったので、その原審の内訳を自ら証明することができず、しかも、勾留された被告人らは、その後弁護人の交替による口封じをさせられたため、第一審段階ではこの点の解明は全くなされないままに終ったのである。
いずれにしろ、次項(<2>原判示<2>について)で述べるように、本件において簿外資産の内容は何か、その簿外資産の形成原資は何であるのか、更には、被告人夫妻の個人としての簿外資産(後述のとおり、それは個人の確定申告書の「財産及び債務の明細書」に記載されず、そのため対国税当局との関係では公表されないままに経過した資産を意味する。)の形成可能額は、どの程度の金額であったのか、したがって簿外資産の形成原資のうち、被告人夫妻の個人資産の占める割合はどの程度であったのか等につき、証拠調によって、その実態が明らかになれば、原判決のいうように、単に「弁解」という一言で被告人らのその点の供述を非難することは到底できなかったはずである。
<2> 原判示<2>について
原判示<2>イは、要するに、検察官及び第一審は、被告人らの個人帰属資産には、売上除外金と混合運用された個人資産分と、そうでないものがあるとし、それを前提として、「役員借入金」の範囲を、ことさらに前者に限定する。
そして、その根拠として、原判示<2>ロにおいて、被告人自身の第一審公判での供述、即ち、被告人の個人財産は約一〇億円はあり、そのうち売上除外金と一体となって運用していたものとそうでないものがあり、前者が五七年七月一日の時点で約二億一七〇〇万円で、それ以上の個人資産は被告会社に出しておらず、個人的資産で債券に転化したものは別途管理している、との供述があることを挙げている。
しかし、被告人自身が供述した右の「約二億一七〇〇万円」とか「それ以外は別途管理している」等については、その内容が全然解明されておらず、補強証拠は全く存在しない。実際において、こうした混合運用とは別の「別途管理」されていた個人資産というものなど、どれをさすのであろうか。そのようなものは現に全く存在しないのである。このことは、国税当局が本件においては、個人帰属のものか会社帰属のものかを峻別することもなく、公表されていない預金・金銭信託・債券把握できるものはその全てを本件簿外資産としたのであって、その中から特に「別途管理」として除外したものなど一つもないことをみても明らかなのである。これは原審において証拠調が行なわれれば直ちに明白になることである。
このように全く実態のないものについて、あたかもそれが存在するかのように虚構の事実を作りあげ、それを前提にして「役員借入金」の金額まで確定しているのであるが、所詮右の「約二億一七〇〇万円」という金額が、国税当局、検察官が一方的に作りあげた自分たちに都合のよいつじつま合わせの数字に過ぎないことは、「役員借入金」調査書におけるその金額の確定の仕方、ほ脱第一年度期首の簿外資産残高に占めるその金額の割合、あるいは売上げ除外を開始したとされている時期との関連等々を総合的に検討すれば、容易にわかることである。したがって、役員借入金は真実は一体いくらであるか、当然吟味されるべきものであり、弁護人ら主張のとおり証拠調を要する。
では、被告人が何故、第一審公判において、被告人がこうしたありもしない「約二億一七〇〇万円」とか「別途管理」等、虚構の供述をするに至ったのか、これは、いうまでもなく、被告人が捜査段階並びに第一審において弁護人の交替強要による口封じをさせられた結果、弁護人が被告人を全くの操り人形同然として何ら情状に関係ない事実を検察側が有利なように立証したが故にほかならない。
そこで、弁護人らは原審において、(a)国税当局が本件ほ脱所得の計算の根拠としている簿外資産とはそもそも一体何なのか、(b)その簿外資産の形成原資には、個人資産がどの程度の割合を占めているのか等々を、証拠調を通じて明らかにしようとしたのである。そして、これらの諸点は、本件の真実を解明するためにも、極めて重要である。即ち、
本件の簿外資産とは、被告会社の決算報告書にも記載されず、又、被告人夫妻個人の確定申告書(実際にはその付属書類である「財産及び債務の明細書」)にも記載されず、そのため対国税当局との関係では、公表されないままに経過した資産が混合されているものの総計である。即ち、本件簿外資産の形成原資は、会社資産と被告人夫妻の個人資産からできているのである。そして、その内、個人資産がどの程度を占めていたかが本件の実像を明らかにするための最重要事となるのである。
この点につき、弁護人らは、原審において次のように主張し(控訴趣意書六七頁)、立証しようとした。即ち、四九年一月以降五六年一二月までの間に被告人夫妻が簿外で個人資産として蓄積しえた金額(即ち、個人資産形成可能額。その計算書が控弁七号証である。)は約五億円弱にも達する。この資産は、同人らの個人の所得税確定申告書等(控弁八ないし三九号証及び八四ないし八七号証)に基づくものであるから十分なる根拠を有する。しかし、四八年の末以前については、同人らの確定申告書が存在しないので、右のような試算は不可能であるが、同人が二六年の開業依頼、右四八年の末までに約二億円前後の個人試算を蓄積したであろうことも、四九年以後と同様に推移していると考えられるから十分に推測できる。
かくして、本件ほ脱第一年度期首の時点において、個人簿外資産のスケールは、五億円ないし七億円にも達するものであった。ではなぜこうした多額のものが、長年にわたり、同人らの確定申告書、具体的には、その付属書類である「財産及び債務の明細書」に記載されないまま経緯することになったのか。そのいきさつは次のとおりである。
被告人夫妻の確定申告書及びその付属書類の「財産及び債務の明細書」の作成は、従来全て被告会社の顧問税理士である黒田税理士に任せていた。同税理士は、被告人夫妻の個人の総勘定元帳をもとに、そこに記載されている資産を「財産及び債務の明細書」に記帳していた。この総勘定元帳は、そもそも事業用資産(例えば、被告人所有で被告会社に賃貸している不動産のように、会社事業と関連性のある資産)のみが記載されているものであったため、個人資産のうちの事業用資産でないもの(仮に非事業用資産と呼ぶ)が、右「財産及び債務の明細書」に記載されずに経過してしまったのである。このようにして個人資産のうちの非事業用資産が「財産及び債務の明細書」に記載されず、その結果として、対国税当局との関係では公表されないままに、被告人ら個人の簿外資産として経過することになったのである。
しかし、この簿外資産については、そのつど納税済みであり、脱税の問題を生じる余地は全くないものであった。ただ、「財産及び債務の問題を生ずる余地は全くないものであった。ただ、「財産及び債務の明細書」を総勘定元帳から作った点で、作成方法に誤りがあったことにはなる。しかし、その誤り自体は、税法上何らの違法の問題を生ずることはないのである。何故なら、所得税法二三二条に「財産及び債務の明細書」の根拠条文が存するが、納税者の所得を算出するための資料を求めるものではなく、将来において相続が発生したとき、財産及び夫妻の行方を調査する資料となるものであり、単なる訓示規定であって、提出するしないは任意であるからである。したがって、全ての納税者ではなく二〇〇〇万円以上の所得があった納税者に求められているのである。本件の個人の簿外資産は、その内実から言って、何らやましさの伴う資産では全くないのである。
このことは、個人の簿外資産の発生原由をたどれば、明らかになることである。原審は被告人らがこれらの個人の簿外資産の発生原由について説明に窮したというが、資料をとりあげられ、身柄を拘束され、あまつさえ接見禁止をされて、資産内容を明らかにする手段を奪われては個人の簿外資産の内容を説明できないのは当然と言うべきである。原審の段階では、こうした個人の簿外資産が本件ほ脱第一年度期首の被告会社の簿外資産の殆んどを占めていたと主張したのである。そしてその個人の簿外資産のなかに若干の売上除外金が混入していたということにすぎないのである。したがって、右期首における簿外資産の生成原由の公正は、国税当局や検察官の主張を全く鵜呑みにした第一審認定のそれとは全く主客転倒することになるのである。
弁護人らは原審において、これらの諸点について、その証拠調を通じて、真実を明らかにしようとした。ところがそれがことごとく却下されたのである。そして、その却下の理由が、前記1の(一)の冒頭なるように、「弁護人の主張自体、財産増減法に対する無理解ないしは誤解に基づく主張にすぎず、右主張をもってしては、本件対象年度の所得の減少をもたらさないことが明らかである」という原審自身の財産増減法に対する無理解に基づく誤った判断によるものである。したがって、かかる原審の誤りは当然是正されなければならない。
なお、判示<2>ハの点は、全て、原審の全くの誤解に基づく判断である。即ち、
右判示は、冒頭で「所論自体被告人らは、被告人らの個人資産全部を被告会社の資産と混合運用してきたとはしていない」と述べ、あたかも弁護人らにおいて混合運用とは別の「別途管理分」の存在を自ら認めているかのように説示し、その理由をその後に続く説示において、三点にわたって述べている。しかし、
(a)弁護人らが「集計メモ」に債券について記載しなかった旨述べたのは、「別途管理」していたという趣旨では全くなく、債券の切替が一一ケ月毎で頻繁なため、記載をしなかっただけのことであり(控訴趣意書二八頁)、それ以上でもそれ以下でもないのである。
(b)又、「集計メモ」に記載のあるもののうち、国債・郵便貯金等を本件で問題にしなかったのは、それらがそもその本件の簿外資産として問題にされていなかったが故に、それを除外したにすぎず、それらが「別途管理」されていたという趣旨では全くない。
(c)更に、右判示は弁護人らの「個人の簿外資産は約四億円にも達していたのであり、その一部が集計メモに記載されていた」との主張をとりあげ、その「集計メモ」に記載のないものは混合運用していない「別途管理分」で、検察官認定洩れの対象にしていないのである。と説示している。しかし、その「集計メモ」に記載のないものは、「混合運用していない個人資産」(即ち「別途管理分」)という意味では全くなく、既に債券に転化していたが故に、その記載をしなかっただけである。
いずれにしろ、原審のこの点に関する説示は、事実調べをすれば誤りであることが明らかになることを、単なる自分の憶測だけで判断して、自ら誤った判示をなしているのである。ここでも事実調をして初めて判ることを、事実調を拒絶する理由にするという論理矛盾・自己矛盾を犯しているのである。
<3> 原判示<3>について
しかしこの論理は、全くの独断的・形式的判断といわざるをえない。そもそも資産運用によって生ずる運用益(利息等の利子所得)は、それが個人資産として運用されようが、全く同じである。即ち、経済的活動の規模の大小は全く関係がないのである。したがって原判決が「被告会社の経済的活動のほうが格段に大きいことからして、個人的資産の運用を被告会社にゆだねたもの」とすることが、何故被告人にもっとも有利な処理となるのか、全く意味不明といわざるをえない。それどころか、個人資産として既に納税済みのものが、会社資産として再び課税の対象になり、その当然の帰結として、それがほ脱所得の対象として把握され、法人税法違反事件として刑事訴追の対象とされる、ということになるのであれば、もはやそれは被告人にとって全く不利であることはいうまでもない。この意味からすると安易に「役員借入金」の概念で会計処理する方法は、当然違法・不当の問題を生じる余地があるということになる。
又、もし仮に右判示の論理を本件にあてはめると、既に述べたように、本件簿外資産についてみる限り、その内訳において個人資産が会社資産よりはるかに大である(弁護人らの主張は九七パーセントを占める約六億一六八〇万円である-控訴趣意書六七頁)以上、「会社資産の運用を会社よりはるかに大きい個人資産にゆだねたもの」というべきことになる。この場合は、もはや「役員借入金」の概念で処理することは誤りであり、逆に会社が会社資産を役員である被告人夫婦に貸付けたもの、いわば、「役員貸付金」として処理すべきことになる。そして右の「役員貸付金」を個人資産と混合運用して得た無記名債券等については、個人として既に全て納税済みであり、しかも個人の簿外資産であるかぎり既に所得税は納入済であるから、当然のことながら法人税法の対象外の問題である。そして本件訴追の対象にもならないということになる。この点から見ても、原判決が「役員借入金」として会計処理する方法が被告人らにもっとも有利な処理方法であり、違法・不当ではないとすることは、全く誤りである。
更に又、「被告人らに最も有利な処理方法である」という原判決の説示が全くのごまかしであることは、仮に本件の「役員借入金」の金額を「ゼロ」にしてみると、なお一層はっきりとしてくる。その場合には、本件ほ脱第一期首の簿外資産残高五億六四八八万〇五〇一円が全てそれ以前の売上除外金によって作られたことになる。原判決によれば、売上除外の開始時期が「昭和五四年頃」ということであるから、僅か三年余りでこれだけの売上除外をしたことになる。しかし、ハッピー文庫店の当時の売上規模や内田清一の担当日数からして、このような売上除外金額は、全く荒唐無稽なものといわざるをえない。そしてこのような金額を前提にして、本件訴追をすることはとうてい不可能である。こうした意味からも「役員借入金」の金額がいくらであるかは、本件訴追の成否を決める重要なものであり、それ故にこそ、検察官にとってもっともらしい金額の作出が必要であったのであり、その結果としてのつじつま合わせの金額が「約二億一七〇〇万円」であったのであるから、その趣旨内容について、徹底的な吟味を要するものである。
更にそのロにおいて原判決は、弁護人主張の「共有に準じて扱うべきである」との論旨について、仮にかかる考え方にたっても、要するに財産増減法の計算方法からすると、資産の部と負債の部から同額を控除することになるのだから、所得の計算上は何ら変わらない、と説示している。
しかし、この説示は、既に述べたように原審の財産増減法に対する基本的な無理解ないし誤解にもとづくものである。まさに、共有に準じて扱うか否かによって、会社の所得の計算上、大きくその結果が変ってくるのである(そして、弁護人らは、この点を明らかにするために、原審において証拠の取調を請求したのである)。即ち、
個人資産につき、これを「役員借入金」とした場合には、会計年度一年間の期間の経過とともに生ずる運用益(利子所得)は、当然会社資産に帰属することになって、会社の所得の増加をもたらす。これに対し、個人資産を「共有概念」によって会社資産と峻別した場合には、右の運用益はあくまで個人資産の生み出したものである限りにおいて、個人資産に帰属すべきものであるから、会社資産とは切り離されることになる。したがってこれは会社所得の増減とは全く関係がないことになる。
それ故、財産増減法の計算方法からすると、「共有概念」をとる限り、まず負債の部から控除される額は、期首・期末とも右「役員借入金」とした金額と同額であるが(既に上告趣意第三点で述べたように、本件の「役員借入金」については、そもそも貸主に支払うべき約定利息の発生がないから、期中の新規借入や貸主への返済がない限り、期首・期末同額となる。)資産の部から控除されるべき額は、期首においてはそれと同額であるが、期末においては原判決のいうような「それと同額」ではなく、それに右役員借入金の運用によって生じた一年間の運用益(利子所得)をも加算した金額でなければならない。かくして期末において負債の部から控除される額と資産の部から控除される額が異なる以上、当然のことながら差引当期所得金額も変ってくることになる。しかも、資産の部から控除される額が負債の部から控除される額よりも大きいのであるから、差引当期所得金額もその分だけ減少することになる。
次に右のことを設例で説明することとする。
仮に第一年度期首に、被告会社の簿外資産が五億円あったとし、そのうち会社資産が三億円(正確には五分の三であるが、わかりやすく上記のように表現する。)個人資産が二億円であったとする。この五億円が全部債券で運用されたとし、その運用益(償還益)が年五%であったとする。
A 先ず、右の個人資産二億円を「役員借入金」として会社資産に組みこんで、第一年度期末における会社所得の計算をしてみる。この場合には、会社資産五億円が債券で運用されるので、期末の会社資産は五億円+運用益(五億円×五%)=五億二五〇〇万円となる。したがって、会計年度一年間の経過によって生じた会社の当期所得金額は、
期末純資産(期末資産-期末負債)-期首純資産(期首資産-期首負債)
=(五億円二五〇〇万円-二億円)-(五億円-二億円)
=二五〇〇万円
となる。
B 次に右の個人資産二億円を「共有概念」によって、会社資産と峻別した場合の会社所得の計算をしてみる。この場合には、会社資産としては、あくまでも三億円だけが債券で運用されるという考え方になるから、期末の会社資産は、
三億円+運用益(三億円×五%)=三億一五〇〇万円
となる。したがって、会社の当期所得金額は、前記算式によって計算すると、
(三億一五〇〇万円-〇)-(三億円-〇)
=一五〇〇万円
となる。このように「共有概念」において個人資産と会社資産を峻別する場合には、明らかに当期所得の計算に影響を及ぼす。しかも所得の減少をもたらすのである。
C それでは、本来BでやるべきことをAで算出した場合、これを本来のBに修正するにはどうすべきなのか。まさにこの点が、本件で問題になっているところである。
前述の説明に即して、その点を明らかにする。先ず、負債の部については、そこから控除される金額は、期首・期末と同額の二億円となるから、
期首負債=二億円-二億円=〇
期末負債=二億円-二億円=〇 となる。
一方、資産の部については、そこから控除される金額は、期首においては二億円となるが、期末においては、右二億円の運用益二億円×五%=一千万円を加えた二億一千万円となるから、
期首資産=五億円-二億円=三億円
期末資産=五・二十五億円-二・一億円=三・一五億円 となる。こうした控除の仕組みを経て、初めてAはBに修正される。かくして、会社の当期所得金額は、
(期末資産-期末負債)-(期首資産-期首負債)
=(三・十五億-〇)-(三億-〇)
=一五〇〇万円
と計算される。これはまさしくBと同一の計算である。
このように、会社資産と個人資産が混入している限り、これを共有と考え、それを峻別し財産増減法を適用するのが正しい考え方であって、役員借入金などというありもしない仮定的な金額を作出して財産増減法を適用するのは誤った考え方である。かくして「共有概念」で峻別する以上、本件のほ脱所得金額の計算にも、直接にしかも所得減少という形で影響を及ぼすことになるのである。
結局、原判決の所論の誤りは、そもそも、財産増減法における当期所得の計算は、あくまで異なった二つの時点(期首と期末)の純資産高の比較であること、それ故、その二つの時点の間の時間の経過に伴って生じた運用益を誰に帰属させるべきかという重大問題があることを、全く見落している点である。
即ち、原判決の所論は、単にある一時点の資産の部と負債の部とを比較し、その一時点での純資産高を論じているにすぎず、本件で問題とされるべき「異なった二つの時点の純資産高の比較」、換言すれば「期間的利益(所得)の算定」という視点を全く欠いているのである。
これは原審の財産増減法に対する基本的な無理解に起因する重大な誤りである。誤判そのものである。
原判決は、「役員借入金」は虚構の概念であるから、本件ほ脱所得の計算からその金額を除くべきであるとする弁護人の主張についても、判示<3>ロと全く同様の論旨から、所詮は、財産増減法による期間的利益(所得)の算定上なんら影響ないと断じている。
しかし、その判示が明らかに誤りであることは、既に述べたところから明らかである。
なお、原判決が、そこで、弁護人らの所論は、本件の修正貸借対照表の負債の部だけから「役員借入金」を削除すべきであるとする趣旨のようでもあるが、と説示している点は、弁護人らの主張に対する無理解も甚だしい。確かに弁護人らは原審において、役員借入金の金額に含めて論じている(例えば控訴趣意書六九頁)。しかしその言わんとする趣旨は、役員借入金は本件ほ脱所得の計算から除外すべきである、というにある(同五三頁)。したがって、その意味を原判決のように本件の修正貸借対照表に即して言いかえるならば、当然のことながら「資産の部」と「負債の部」のそれぞれからその金額を除くべきだ、ということになる。そしてその場合、右金利分(運用益)はそもそも「資産の部」にのみ計上されているのであるから、除外する場合も「資産の部」の金額としてのみ除外されることになる。それ故、原判決が、「それが資産の額とも関係することは上記のとおりであり」と説示している点はそのとおりとしても、「資産の部」と「負債の部」のそれぞれから同額を除くべきであるという前提で、財産増減法の計算方法を理解している点は、全くの誤りということになる。そのことは既に述べたことからも明らかである。
本件においては、弁護人らが控訴趣意書でるる主張したように、そもそも「役員借入金」と見るのが正しいのかどうか、又、その金額のスケールをどう認定するかによって、期間的利益(所得)の算定に直接影響を及ぼすのである(例えば、役員借入金を二億一七〇〇万円とすると、その生み出す金利分はそれを五%とすると、ほ脱三か年間で約三四二〇万円であり、同様に役員借入金を六億一六八〇万円とすると、約九七二〇万円であり、その金利分だけ期間的利益に直接影響を及ぼす)。そこでこれが、本件ほ脱所得の認定に極めて重大な意味を持ってくる。しかし、この点の認識をまったく欠いた判断が右の原判示であるということになる。
原判示<3>ニにおいて、原判決は「役員借入金」という勘定科目を設け、本件修正貸借対照表に計上することは、何ら不利益事実には当たらないという。
しかし、前述のように、「役員借入金」概念をどうみるのか、その金額をどうみるのかは、本件所得に直接影響し、しかも右所得を減少する方向で影響を及ぼす問題である。したがってまさにこの問題は、被告人にとって不利益事実そのものなのであり、この点を看過した原判決は全くの誤りである。
(二) 「理由6」-「集計メモ」等の取調請求について
(1) 原判示
<1> 「所論によれば、『集計メモ』は、東京国税局から本件税務調査を受けていた最中の昭和六一年一月下旬ころに発見されたもので、被告人はこの『集計メモ』を当時被告会社の顧問弁護士をしていた関一郎弁護士に見せて相談したというのであり、右『集計メモ』が証拠物であるだけに、それが被告人らにとって有利なものであれば、当然被告人側の主張を裏付ける重要な証拠として、税務調査、捜査、原審公判中に出されていた筈のものであって、これをあえて秘匿したり、しまいこんだり、看過、忘却するというようなことの考えられないものであるとともに、被告人らが『集計メモ』を関弁護人に示して相談すべきものと考えて持参し相談したこと自体において、被告人らは『集計メモ』が本件において持つ意義を認識していたことが認められる。そして右『集計メモ』には、各預け入れ金融機関毎に、預け入れ名義人、満期日、口座・証券番号、預入金額等が記載され、関弁護人に見せて相談した際に同弁護人が記入した丸印によるチェックがされており、同弁護人がこれを預かっておくといったので、被告人はこれを同弁護人に預けておいたというのであり、このことからしても被告人らが関弁護人に対して『集計メモ』の記載内容につき説明し、同弁護人とともに右『集計メモ』の内容を十分に検討し、査察官や検察官に右メモの存在を示して被告人側の主張・弁解をすることの有利・不利を巡って検討し、その結果、当時においては、これを当局側に提出・呈示し、あるいはこれに基づいて主張・弁解することは得策でも有利でもないものと判断し、提出・提示を見合わせ、同弁護人において保管することにしたものと推認される。所論においても、被告人自身、税務調査や捜査を受けていた当時は、右『集計メモ』が有利な証拠になるとは思ってもみなかったので、これを証拠として提出するよう弁護人に依頼しなかったというのである。」(原判決書二一丁裏~二二丁裏)
<2>イ「被告会社は、被告人らの個人企業を法人成りしたもので、個人経営的色彩の濃厚な法人であり、被告会社の事業の実態は、被告人らの個人経営の当時と格別変わるところはなく、被告会社設立の際、被告人らの従来の個人営業に関わりのあるすべての資産・負債は、簿外のものを含めて、被告会社に引き継がれたものと推測され、法人成り後は、被告会社の営業活動、事業の拡大を通じて財産を蓄積してきた経緯からして、本件の簿外債券、預金、金銭信託を形成した資産の大半は被告会社の営業活動を通じて獲得され、形成された資金によるものと推認される。」(同二二丁裏~二三丁表)
ロ「一方、被告人らが主張する個人財産の被告会社の資産とに混合運用ないしは持込み資金については、上記のように法人成りに際し、被告人らが個人企業として経営していた当時に取得・蓄積して来た財産で、被告会社の運営資金として充当する意図のもとに出捐した分があることは推測されるものの(非行会社及び被告人は、昭和四八年に本件と同様の売上除外による法人税法違反事犯で処罰されているのであるから、その時点で、もし個人に属する債券、預金等が存在していれば、そのころこれを被告会社のそれと区別する処置がとられたものと思料されるし、その後に取得された資産についても、個人的なものと被告会社のものとは明確に区別して管理運用する処置がとられて然るべき情況にあった。)、被告人らが主張弁解するような多額の個人的資産の被告会社への持込みや、被告会社の資産と混合運用を証する証拠は、被告人らの供述以外にはなく、被告人らが個人的資産の生成原由としてあげる実父からの贈与金、金の売買利益ないしは売却金(金の購入資金にしても、その原資が全部被告人個人の資産から出ていて、被告会社の資産からは出ていないといえるかは疑問の余地がある。)だけでは、果たしてそのような多額の個人的資産を生成しうるか疑問の余地があり、被告人らが被告会社の事業に専念し、同社からの役員報酬金以外に他から大きな収入を得られるような道も窺えないことよりして、被告人らが個人的資産であるというもののなかにも相当程度被告会社に帰属するものがあるのではないかと考えられる余地が多分に存するのであるが、国税当局及び検察官は、総額約二億一七〇〇万円の被告人らの個人資産が混合運用されていたとの税務調査、捜査段階における被告人ら及び被告会社の主張・弁解を認容して、この資金と被告会社の売上除外金とを混合して本件簿外債券を購入し、簿外預金、金銭信託をしたものとし、これを前提にして本件公訴を提起し、原判決もこれをそのまま認容した。」(同二三丁表~二四丁表)
<3>イ「前記のとおり、被告人らは、混合運用していた被告人らの個人的資産分は、約二億一七〇〇万円位であるとし、被告人は、検察官に対する昭和六二年一二月三日付供述調書第八項(記録三七丁二丁)において、被告人ら及び被告会社が公表していなかった裏の預金や金銭信託は、原審で取調べ済みの大蔵事務官作成の預金調査書、金銭信託調査書に記載されているものがすべてであり、それ以外にはありませんと供述し、原審公判においても、弁護人の質問に対して、被告人らの個人的資産は、上記の約二億一七〇〇万円以上は被告会社に出捐していないと供述しているのである。従って、仮に、被告人らに叙上の約二億一七〇〇万円を超えるところの個人的資産、当局側に把握されずにすんだ債券、預金、金銭信託があったとすれば、それらは被告人らが別個に管理運用していた個人的資産であるとしていたことになる。」(同二四丁表・裏)
ロ「しかるに、被告人は、原審で懲役の実刑判決を受けるや、一転してこれまで述べてきたところを翻して、当審において、叙上のほか<1>『集計メモ』関係の総額四九五〇万八三一三円の預金、金銭信託と(控訴趣意書第二の一3(二)の(3)。同書三二頁)、<2>被告人の実父からの贈与金関係の一二八七万円の預金(同3の(二)の(4)。同書三六頁)、<3>『集計メモ』関係の逋脱第三期期末の八二万四四二二円の預金(同3の(四)の(3)。同所四五頁)をも被告会社に出捐し、被告会社の売上除外金と渾然一体として運用して来たと主張するに至ったものである。そして、ここで留意すべきは、所論は、<1><3>関係の『集計メモ』に記載されている預金、金銭信託は、昭和五三年一二月三〇日当時に存在し、<2>は、昭和五五年七月頃贈与を受けたもので、これら被告人の言うところの個人資産を被告会社の資産と一体として運用し始めたというのは、本件の対象年度前すなわち昭和五七年六月三〇日より前のことであり、したがって、これを逋脱第一年度期首の簿外資産残高に計上しなければならないと主張していることである。」(同二四丁裏~二五丁表)
<4>イ「財産増減法は、一定期間内における期首と期末における純資産の比較によってその期間の利益(所得)を計算する方法であり、
期末純財産(期末資産-期首負債)-期首純財産(期首資産
-期首負債)=期間的利益(所得)
期間中に追加元入れ・引き出しがあるときは、
期末財産-期首純財産-期中追加元入れ+期間中引き出し
=期間的利益(所得)
という算式により計算される。財産増減法は、実在する資産と負債を把握し、純財産額の確定を通じて、二つの時点間の純財産の比較により、純財産の増加分として利益を測定しようとするものである。」(同二五丁表・裏)
ロ「したがって、仮に、被告会社の売上金と被告人らの個人的資産の混合運用により獲得・形成された簿外債券、預金、金銭信託につき、所論のとおりの検察官の認定漏れがあり、この分を修正貸借対照表に計上すべきものとしても、被告人らの個人的資産分は被告会社の資産として計上するとともに、同額を被告人らからの借入金として負債の部に計上することになり(所論も、控訴趣意書四一ページ及び六二ページにおいて、逋脱第一年度の期首における債券、預金、金銭信託の事実誤認分計六九九九万九五一三円を、簿外資産として計上すべきであるとするとともに、右事実誤認分はすべて個人帰属であるから、その分は役員借入金になるとして、役員借入金に加算して論じている。)、第一期の期首の資産の部の勘定科目と負債の部の勘定寡黙に同額が掲記されることとなるので、差引当期所得金額に変りはなく、その後第三期期末までこの預金、金銭信託がそのまま混合運用されていれば、前同様同額が資産の部、負債の部に計上されることになるし、もし一部が被告人らに返済されたとしても、資産の部も負債の部も同額づつ減額するから、その期の所得金額に変りはない。したがって、持込み資産ないしは混合運用資金の持込み、引き出しは、期首と期末の純財産を比較して算出する期間的利益の額には影響を及ぼさないのである。」(同二五丁表~二六丁表)
ハ「したがって、所論のうち、
期中解約による逋脱第二、第三期の期首における簿外債券残高が修正されるべきであるとする点(同書四二ページ)
は、いずれも修正貸借対照表の勘定科目の金額に変更は生じても、期間的利益(所得)には影響なく、所論の主張自体原判決に影響を及ぼさないことを論じているに過ぎないし、『集計メモ』等この関係で所論が掲げるものを取調べることも、所得の計算上は意味がない。」(同二六丁表・裏)
(2) 右原判示の誤り
<1> 原判示<4>について
「理由6」の原判示のうち、最も重大な誤りは、原判示<4>の部分である。そこで、他の諸点に先立って、この点についてその誤りを指摘する。
右原判示<4>のうち、イの部分は財産増減法の一般公式であり、まさにそのとおりである。しかし、そのあてはめともいうべき判示ロが全くデタラメである。
即ち、原判決は、仮に弁護人主張のとおりの検察官認定洩れがあり、この分を修正貸借対照表に計上すべきものとしても、被告人らの個人的資産分は、被告会社の資産として計上するとともに、同額を被告人からの借入金として負債の部に計上することになり、第一期の期首の資産の部と負債の部に同額が掲記されるのだから差引当期所得金額に変りはない旨述べている。
しかし、この説示は、既に述べたとおり全くの誤りである。
原審が誤りである理由を設例を用いて具体的に説明する。
そもそも当期所得の計算は、原判決も指摘するように、一定期間内における期末と期首の純資産の差引によって算出される。今、仮に、期首において簿外資産五億円、内役員借入金二億円、期末において、簿外資産七億円、内役員借入金二億円であったとする。こうしたケースで、期首に認定洩れの資産(具体的には「預金」「金銭信託」)が一億円でてきたとする。期首の時点では、資産に部の勘定科目と負債の部の勘定科目にそれぞれあらたに同額の一億円が掲記されることになる(即ち、期首資産=五億+一億=六億円、同負債=二億円+一億=三億円)。しかし、期末ではどうかというとことになると話しは全く別になる。即ち、右一億円につき、個人への返済がない以上、負債の部にあらたに掲記される金額は期末も一億円で期首と変りがない。一方、資産の部に掲記される金額はどうなるか。もし、右金員が「預金」「金銭信託」のままで全く解約されずに期末までに推移すれば、期末においても一億円の資産そっくりそのままあるとして、資産の部にあらたに一億円が掲記されることになる(この場合は、まさに原判決のいうとおりである。もっとも、厳密にいうと、預金、金銭信託の運用益即ち利息の問題があるから、期首の一億円の資産が期末にも一億円であるということは現実にはありえない。しかし、ここでは右運用益の問題は考えないこととする)。しかし、右一億円が「預金」「金銭信託」のまま推移しないで、その一部が時の経過とともに解約され、例えば合計四〇〇〇万円が無記名債券の購入に充てられたとする(本件はまさにこうした場合にあたる。)。この場合には、期首に一億円あった右金員のうち、期末時点で「預金」「金銭信託」として存在する金額は、一億円-四〇〇〇万円=六〇〇〇万円ということになる。そして、無記名債券の残高が既に国税当局によって確定的に把握されているとすると(本件がまさにこうした場合にあたる)、期末の資産の部にあらたに掲記されるべき金額は、右の六〇〇〇万円のみということになる(即ち、期末資産は七億円+六〇〇〇万円=七億六〇〇〇万円、同負債は、二億円+一億円=三億円)。このように、期末の資産の部にあらたに掲記される金額は、もはや期首の資産の部に掲記される金額とは同額ではないのである。
結局、期首と期末の比較において、負債の部に新たに掲記する金額は同額でも、資産の部に新たに掲記する金額は、期末のほうが期首より少額ということになり、したがって、差引当期利益は減少することになる。このことを原判示イが指摘する算式
期間的利益=期末純資産(期末資産-期末負債)
-期首純資産(期首資産-期首負債)
にあてはめると、
A 期首に認定洩れ資産が全くない場合
期間的利益=(七億円-二億円)-(五億円-二億円)
=二億円
B 期首に認定漏れ資産が一億円出てきて、期末までにその内の四〇〇〇万円が解約され、無記名債券の購入に当てられた場合
期間的利益=(七億六〇〇〇万円-三億円)
-(六億円-三億円)
一億六〇〇〇万円
右のAとBとを比較すると、後者の期間的利益即ち差引当期所得が前者と比べて減少していることが判る。
これは、検察官認定洩れの分が、差引当期利益に直接に影響を及ぼすことを如実に示している。
そして、本件においては、こうした認定洩れ資産が「集計メモ」関連だけで、ほ脱第一年度期首において、約四九五〇万円あり、それが時間の経過とともに徐々に解約され、それが無記名債券の購入に当てられ、結局ほ脱第三年度期末時点で預金・金銭信託として残った残高が約八二万円であった。したがって、本件ほ脱所得は、その差引分約四八九八万円は、明らかに減少するのである(控訴趣意書三三頁、四二頁参照)。
原判示ロで「その後第三期期末までこの預金・金銭信託がそのまま混合運用されていれば、前同様同額が資産の部、負債の部に計上される」とも言う。しかし、これ又誤りの説明ということになる。即ち、この説明が一応あてはまるのは、預金・金銭信託が全く解約されず、そのまま同額が第三期期末まで預金・金銭信託として、継続された場合だけである(なお、ここで「一応」といったのは、利息の問題を考慮に入れなければ、ということである。現実には、利息の問題がある以上、期末の資産の部に同額が計上されるということはありえない。この点でも、右判示は明らかな誤りである)。現実には弁護人らが控訴趣意書(同書三五頁)で説明したように、預金・金銭信託は時の経過とともに解約され、無記名債券購入にあてられていたのである。それ故、前述の説明から明らかなように、負債の部への計上は毎期同額であっても、資産の部への計上は、無記名債券購入にあてられた分だけ減少していくことになり、その分だけ差引当期所得の減少をもたらすのである。
かくして原判示ロが全くの誤りである以上、原判示ロを前提として初めて成立する原判示ハも又全くの誤りであるということになる。原判示ハが「所論の主張自体原判決に影響を及ぼさないことを論じているに過ぎないし、『集計メモ』等この関係で所論が掲げるものを取調べることも、所得の計算上は意味がない。」と結論づけているところは、全くの暴論である。「集計メモ」等をこの関係で取調べることは、まさに本件ほ脱所得の計算等に直接に影響する重大問題なのである。
その検証方法として、
(その一)
期末純資産(期末資産-期末負債)-期首純資産(期首資産
-期首負債)=期間的利益(所得)
という「財産増減法の一般算式」へのあてはめ、
(その二)
「修正貸借対照表」の作成、
の二とおりをとってみる。
そして、この(その一)(その二)の方法によって検証したとき、原判決の、
「期間的利益(所得)には影響ない」
「差引当期所得金額は変りない」
等という結論が全くの誤りであることが、いよいよ明らかとなるのである。
(その一による検証)
弁護人らは控訴趣意書四一、四三、四六頁記載の各表において、本件ほ脱各年度の期首・期末の資産(債券・預金・金銭信託)につき、「検察官認定」のほかに「事実誤認分」(これがいわゆる検察官認定洩れである。)があること、これらを合計すると「修正(+)」になることを指摘した。その各表を一表にまとめると次表(第一表)のとおりである。
(第一表)
<省略>
次に負債の部の勘定科目である「役員借入金」については、検察官認定(役員借入金調査書の3確定方法の(3)増減額の内訳欄)と同様の算出の仕方で、次表(第二表)のとおり算出した。
(第二表)
<省略>
そして、この(第一表)(第二表)の数字を前記一般算式にあてはめると、各年度とも次のような結果となる(ほ脱第二年度・ほ脱第三年度においては期間的利益から未納事業税を減額したものが本来の所得であるが、問題の簡略化のためここでは省く)。
[ほ脱第一年度]
<省略>
[ほ脱第二年度]
<省略>
[ほ脱第三年度]
<省略>
右の検証からあきらかなように、弁護人ら主張の検察官認定洩れの問題は、本件ほ脱各年度の期間的利益(所得)に影響する(減少する)のであって、これにつき「期間的利益は影響ない」とする原判決は全く誤りである。
(その二)による検証
前記(第一表)(第二表)の各数字をもとに、資産の部、負債の部の各勘定科目に右数字をあてはめ、その修正貸借対照表を作成すると(別紙三)のとおりである。
ここでも明らかに差引当期所得は減少している(各年度の当期所得金額欄の当期増減金額の項参照)。原判決の「差引当期所得金額は変りない」との結論は全く誤りである。
<2> 原判示<1>について
原判決は、要するに「集計メモ」について、被告人らは、第一審の段階で、その本件においてもつ意義を認識していたと認められるし、しかも、これらを当局側に提出・提示すること、あるいはこれにもとづいて主張・弁解することは得策でも有利でもないものと判断していたと推認できるというのである。
しかし、既に述べたように、「集計メモ」が本件において、いかなる意義をもつかは、財産増減法による所得の計算ということと関連して初めてわかることである。そして、被告人らにおいて国税当局ないし検察官が本件の所得計算を財産増減法にもとづいて行なっていることがわかったのは、第一審の公判段階になってからである。しかも「集計メモ」が本件の財産増減法による所得計算等との関連で、有利なものとして使用できるか否かは、検察官提出の証拠である大蔵事務官作成の預金調査書、金銭信託調査書の内容の検討及び「集計メモ」に記載されている預金等についての具体的な銀行調査をして初めてわかることである。それ故、被告人らにおいて、国税当局の調査の段階で、そのもつ意義等知りうべくもなかったし、又逮捕後の捜査・公判段階において既に弁護人交替による口封じの問題に直面し、「集計メモ」と本件の係わりすら、全く思い及ばない状況であり、いわんや具体的な銀行調査を行なうなどできなかったのである。もし仮にその係わりを知っていたとしても、到底銀行調査を行なうことなどできる状況ではなかったのである。
そして、原審の段階に入って、銀行調査の結果を経てようやく確定的にそれが有利なものであることがわかり、だからこそその取調を請求することになった、というのが事の真相である。
しかし、何はともあれ「集計メモ」が被告人らにとって有利なものかどうかの推論を述べる前に、そのこと自体について証拠調をすれば、それが本件において被告人らにとってどのような意義をもつのか、即ち、被告人らにとって本当に有利なものかどうか等は容易に明らかになることである。「集計メモ」につき真実は何かを取調べなければわからないことを、単なる推測をもとに、その取調を拒否する根拠にすることは、論理の矛盾も甚だしい。原判決のいう前記「推認」は全く証拠調に基づかないでなした予断そのものである。そして、かかる予断は、原審自身の財産増減法に対する基本的な無理解・誤解と、それからくる「集計メモ」に対する評価の誤りに起因するものである。何故ならば、「集計メモ」の問題が、本件所得の計算に直接に影響してくることの正当な理解がありさえすれば、とうていこうした無謀な「推認」は生じえないからである。
なお、右判決の趣旨が、「被告人らには『集計メモ』が本件で有利な資料かどうか、その持つ意義が判っていて第一審で提出しなかったのだから、原審では採用の限りではない」というのであれば、それは、刑訴法三八二条の二第一項の「やむをえない事由」に当らないという判断の根拠として論ずべきもので、同法三九三条一項本文の職権取調の判断の根拠とすることは許されない。
<3> 原判示<2>について
原判示<2>イは、要するに、本件の簿外債券、金銭信託を形成した資産の大半は、被告会社の営業活動からの資金と推認される、と言うのである。
しかし、この点についても前記<2>(「集計メモ」)と同様のことが言える。即ち、簿外資産の形成原資が真実どうであったのかは、証拠調をして初めてわかることである。だからこそ、原審において弁護人らは前述のように「簿外資産」とは何か、そして、被告人夫妻が個人としてどの程度の簿外資産を形成できる収入があったのかなどの点を明らかにするための証拠の取調を求めたのである。そして、その証拠調を経れば、原判決のいう「推認」が全く根拠のない憶測ないし偏見であることも明白となるのである。
ここでも原判決は、真実かどうかは証拠調をしないと判らないことを、単なる推測をもとに、その取調を拒絶する根拠にするという大いなる論理の矛盾を犯している。
原判示<2>ロは、被告人らが主張弁解するような多額の個人資産の会社への持込みあるいは混合運用の証拠は、被告人らの供述以外にないとし、しかも被告人らが個人資産の生成原由としてあげる実父からの贈与金、金の売買利益ないし売却金だけでは、果たしてそのような多額の個人資産を生成しうるか疑問であること、又、被告人らには役員報酬金以外他からの大きな収入の道もうかがえないこと等から、個人資産というものの中に相当会社資産があるとの余地が多分にあるが、しかし国税当局、検察官は約二億一七〇〇万円の個人資産の混合運用があるとの主張、弁解を認容して、それを前提に公訴し、第一審判決もそのまま認定した、と言う。
しかし、この原判決の指摘する個人資産との混合運用の金額の実態こそ、弁護人らが原審において意を尽して主張・立証しようとしたところである。そして、右の「二億一七〇〇万円」なるものが、国税当局のつじつま合わせの当局側に都合の良い一方的な数字であることも自ら明白となるはずのものであったのである。とりわけ「被告人らには役員報酬金以外他からの大きな収入の道もうかがえない」とする点は全く事実に反するのであり、原審で証拠として採用された被告人夫妻の確定申告書その他(控弁八~三九号証)を検討すれば直ちに明白となる。
ちなみに、右各証拠をもとに四八年から五六年の間の被告人夫妻の収入・所得を一表にまとめると、別紙四のとおりである。その表中の「給与収入(給与所得)」欄が、いわゆる「役員報酬金」である。これを見れば、被告人夫妻に「役員報酬金」以外に他から大きな収入があったことが一目瞭然である。
いずれにしても、原判決は、真実かどうかは証拠調べをしないと判らないことを、既に真実ははっきりしているかのように曲解し、それをその取調を拒絶する根拠にしていることになる。しかも、原判決は、第一審において、弁護人交替による口封じの問題があったという事実を、ことさらに考慮の外に置いているのである。もし、このような弁護人の交替問題がなかったならば、当然第一審において、これらの点の真相は明らかにされていたはずである。
<4> 原判示<3>について
原判示<3>イは要するに、被告人は、既に検察官に対する供述調書において、裏の預金・金銭信託は、大蔵事務官作成の調査書に記載されているもの以外にはないと供述し、また、第一審公判でも約二億一七〇〇万円以上は個人資産を会社に出捐していないと供述しているのであるから、右約二億一七〇〇万円を越える簿外の個人資産があったとしても、それは被告人らが別個に管理していた個人資産(いわゆる別途管理分)ということになる、と言うのである。
しかし、右原判示の論旨、即ち、被告人が第一審で供述した「約二億一七〇〇万円」を金科玉条のように絶対に動かせない数字として、それを越えるものは全て「別途管理分」で本件とは関係ないとする論旨は、第一審の弁護人交替による口封じの問題を全く棚に上げ、補強証拠による何ら裏付けのない「約二億一七〇〇万円」や「別途管理分」という被告人の供述を絶対視して、これを鵜呑みにしているのである。
即ち、係る形式論をもって真実にふたをすることはとうてい許されない。真実は原審において証拠調さえすれば、直ちにわかることであったのである。
従って、判示<3>ロにおいて「一転してこれを翻し、当審で……」と非難することも裏付けのない自白を絶対視する誤った考え方である。
(三) 「理由7」-個人簿外資産形成可能額計算書等の取調請求について
(1) 原判示
<1> 「所論は、要するに、(1)被告人は、金の売却代金全部を債券購入の原資にしたのであり、金の売却代金は、昭和五五年ころには七一二五万円、昭和五六年ころに五〇二〇万円が被告人夫婦の手元にあったところ、右売却代金を得て間もないころに、これを原資として債券を購入したのであるから、これら金売却代金に本件逋脱第一年度である昭和五七年七月一日までの右債券の生みだす金利分(債券償還金)である年五分、単利で計算した約九六三万円を加算した約一億三一〇八万円を計上すべきであるのに、原判決は、検察官認定の金の売却益七二九五万円のみを債券購入の原資に充てたと認定したにすぎない。したがって、その差額『約五八一三万円』を、『役員借入金』に加算すべきである。(2)売上除外金を損益計算法的手法に従い当該年度の売上表に基づき算出し、簿外資産残高から売上除外金を差し引いた第一期の期首における『役員借入金』は、六億一六八〇万〇〇一四円であり、第二年度、第三年度はこれに金利分年五パーセントを加えた金額であるとして、これらいずれの期の『役員借入金』についても、二億一七八〇万〇五〇一円と認定した原判決には事実誤認があるとして、以下の証拠調べを請求するものである。(なお、『役員借入金』が虚構のものであるとし、その金額を本件から除外すべきであるとする所論については、前記五の(2)(3)で判断済。)
イ 控弁七の個人簿外資産形成可能額計算書
ロ 控弁八ないし二一、八四、八五の確定申告書
控弁二二ないし三五、八六、八七の財産及び債務明細書
ハ 控弁三六、三七の富士工業(株)取締役会議事録
ニ 控弁三八、三九の配当、剰余金の分配及び基金利息の支払い調書」(原判決書二七丁表・裏)
<2> 「本件の簿外債券購入代金の原資として、被告人所有の金の売却益だけではなく、売却代金全部が充てられたとすれば、その分は『役員借入金』として計上されることになるところ、所論によれば、金を売却し、その売却代金で債券を購入したというのは、本件逋脱第一年度の期首である昭和五七年七月一日前のことであり、逋脱対象年度期中に発生したものではないとともに(金の売却金以外の親からの贈与金、被告人ら夫婦が長年働いて蓄えてきた資金というのも、同様第一期前から混合運用され簿外の債券、預金、金銭信託となっていたというものである。)、同対象年度期間中に債券購入に充てられた金売却代金の全部又は一部が被告人に戻されたという主張もそのような事実も窺えない上、被告人らが個人的資産を被告会社に持込み資産としたり、被告会社の資産とし混合運用したりできるような資産を得られたのは昭和五六年の春の金の売却までで、それ以後遅くとも本件対象年度の昭和五七年七月一日以降には被告人ら個人が新たな財産の増加をもたらすような裏収入はなく、被告人らの個人的資産を新たに被告会社に持込み資産としたり、被告会社の資産と混合して運用したりするようなことはなかったというのである(被告人の検察官に対する昭和六二年一二月三日付、五日付、チヱ子の同月二日付、四日付各供述調書)。したがって、所論のいうように『役員借入金』五八一三万円を加算すべきであるとしても、それは一期のみならず2期、三期の各期首、期末とも同額の加算をすることになり、役員借入金を加算した分だけ期末純財産(期末資産-期末負債)も期首純資産(期首資産-期首負債)も少なくなるので、財産増減法の算式
期末純財産-期首純財産=期間的利益(所得)
から明らかなように、所得金額には何ら変りはない。
仮に、対象年度期間中に、金の売却代金の全部又は一部に相当する金員が被告人に戻されたとしても、その場合にはそれに相当する債券、預金、金銭信託等被告会社の資産が減るとともに、同額の『役員借入金』も減ることになり、所得金額には変りはない。
要するに、本件逋脱対象年度の第一期の期首において存在したという『役員借入金』の多寡は財産増減法の計算上所得金額には影響を及ぼさない。いいかえれば、財産増減法は、対象とする期間内に生ずる利益(所得)を算出しようとするものであるから、対象期間中に発生する所得形成事由に関するものでなければ、対象年度の所得金額に何ら影響を及ぼさないのである。」(同二八丁表~二九丁裏)
<3> 「本件は、財産増減法で所得の算出を行なっているのに、所論は、これと異なる独自の損益計算法的手法と称するもので売上除外金を算出し、これを前提に逋脱所得金を算出しようとするものであって、これが採り得ないことは、既に4において説示した通りであり、『役員借入金』の確定の経過については、前記5の(1)において、説示した通りである。
なお、所論は、第二期、第三期の各期首の『役員借入金』の額については、利息を付した額を計上すべきであると主張するのであるが、個人資産混入部分については、利息支払いの約定があったことも、利息支払いの事実も認められないから、無利息で資金を提供したものとみるべきであって、所論は採用できない、そして、仮に個人帰属の簿外資産の合計額が逋脱第一年度期首において所論のいうとおり六億一六八〇万〇〇一四円であったとしても、本件各対象年度の所得額には、影響を及ぼすものではないことは、前述の通りである。」(同二九丁裏~三〇丁表)
(2) 右原判示の誤り
<1> 原判示<1>及び<2>について
しかし、原判示<2>のこの判断も、財産増減法の所得計算方法を全く理解していないことにもとづくものであって、そのことは既に説明したところで明らかである。「役員借入金」の概念が虚構である以上、共有概念をもって個人帰属資産と会社帰属資産を峻別すべきであるから、「役員借入金」の運用によって生じた利子所得分も当然個人帰属資産と見るべきことになり、まさにその分だけ被告会社の当期所得を減少させることになり同会社の計算に直接影響を及ぼすのである。
更に又、原判示<2>は「対象期間中に発生する所得形成事由に関するものでなければ、対象年度の所得金額に何ら影響を及ぼさない」とも言う。しかし、「役員借入金」自体、会社の資産となって運用され、それ自体利子を生むという意味において、まさに右に言う「所得形成事由に関するもの」なのである。したがって又、「所得金額にも影響を及ぼす」ことになるものである。原判決が「役員借入金」自体のもつこうした意味を全く理解していないのは、まことに驚くべき極みである。
<2> 原判示<3>について
それに対して原判決は、利息の約定がないから「役員借入金」に利息を付さない旨説示している。
しかし、本件は、個人資産と会社資産が偶々峻別できなくなってしまったもので、利息の約定などありえないのであるから、通常の役員借入金の場合と同様に利息の約定がないからといって「役員借入金」に利息を付さないというのでは理由になっていないのであって、理由不備といわざるをえないのである。
更に原判示<3>の末尾には「仮に個人帰属の簿外債券が所論のいうとおり六億一六八〇万円〇〇一四円であったとしても、本件各対象年度の所得額には影響を及ぼさない」とも言う。
しかし、この論旨が財産増減法の正しい理解からすると全くの誤りであることも、既に述べたところから明らかである。
(四) 「理由4」-売上表等の取調請求について
(1) 原判示
<1> 「控訴趣意書の第二の一2(控訴趣意書一六ページ)について所論は、被告会社から押収されながら原審公判で証拠の取調べ請求がされなかった被告会社の『売上表』等の証拠(控弁二ないし四、六、四〇ないし五五、七三ないし八一)に基づいて損益計算的手法により各対象年度の逋脱所得を確定するのがもっとも真実に近い数字を算出しうる方法であるのに、それを考慮しないでもっぱら財産増減法によった検察官主張の金額をそのまま認めた原判決の認定には事実誤認があるというのである。
しかしながら、逋脱所得金額の算定方法の適否は、逋脱犯における逋脱にかかる税額の算出の根拠である課税標準の金額の確定という刑訴法上の事実認定の問題であり、逋脱所得金額を認定するに当たり、一定期間の期首と期末の財産状態を比較することを基本にしてその期間の利益即ち所得金額を算定するいわゆる財産増減法を用いることも許容されており(最高裁昭和六〇年一一月二五日第二小法廷決定・刑集三九巻七号四六七頁)、本件において検察官が財産増減法に依拠して、債券、預金、金銭信託、役員借入金等の各勘定科目について各期末の金額から期首の金額を差し引いて当期の増減額を算出し、各対象年度の所得額を確定したことに何ら問題はなく、原判決が所論のいう損益計算法的手法を採らなかったからといって違法不当とはいえない。確かに、すべての取引につき、正規の簿記の原則に従い、正確な会計帳簿が作成されていれば、損益計算法及び財産増減法のいずれによっても算出される純利益の額は一致することが会計理論として承認されている。したがって、財産増減法によって算出された所得額を更に損益計算法によって検算し、その結果両者の数値が一致すれば、その所得額の認定に誤りがないことが一層明確になることは明らかである。しかし、逋脱犯の所得額を認定するに当たり、両者の方法で算出し、あるいは一方の方法で算出したのを他の方法で検算しなければ、その所得を確定できないとか、正確でないということは出来ない。要は、検算の要否ということではなく、財産増減法によって算出された本件所得額の認定に合理的な疑いを差し挟む余地が存するか否かの問題に過ぎない。」(原判決書一四丁表~一五丁裏)
<2> 「しかも、本件においては、被告会社のハッピー文庫店においては、現実の売上金額を記載した実際の売上表と売上除外をした後の公表売上表を作成し、点検後公表売上表のみを残し実際の売上金額を記載した売上表は廃棄処分にしていた上、ハッピー文庫店の収支を正確かつ継続的に記帳した帳簿書類等総収入金額及び必要経費の実額を直接算定することができる資料は残していなかったのであるから、本件の実際の総所得金額、逋脱所得金額を損益計算法によって確定することは不可能であったことが明らかであって、本件の所得金額の算出が財産増減法によって行なわれたことはやむを得ないところである。そして、原審では本件につき財産増減法が用いられたことを含め何ら争われなかったのであり、同計算法の下においては、立証上『売上表』は必須の証拠ではなく、それが原審で証拠請求されず取り調べられなかったからといって非難するには当たらない。したがって、本件においては、被告人側が検察官主張の所得額を争うには、検察官主張の財産増減法上の特定の勘定科目の内容について争い、反証を提出するというのが道理であって、検察官主張の勘定科目に結び付かない主張・反証は関連性がないといわざるをえない。しかるところ、所論は、損益計算法的手法と称するものによって各対象年度の売上除外金を算出し、これに金利を加えたものが逋脱所得であるとするものであり、検察官主張の財産増減法上の勘定科目につき争うものでも、反証を提出するものでもないから、所論は関連性がない主張というべく、当裁判所が職権でこの関係の証拠を取調べる必要性はなく、かつ、論旨は理由がないといわざるをえない。」(同一五丁裏~一六丁裏)
(2) 右原判示の誤り
<1> 原判示<1>について
原判決は、「本件において検察官が損益計算法的手法をとらずに、財産増減法に依拠して本件対象年度の所得を確定したからといって違法不当とはいえない」とし、「要は、検算の要否ということではなく、財産増減法によって算出された本件所得額の認定に、合理的な疑いを差し挟む余地が存するか否かの問題に過ぎない」と説示している。
右の説示は一応その通りである。そこで問題は、本件においてはほ脱所得額の認定に合理的な疑いを差し挟む余地が存するか否かの点にある。
<2> 原判示<2>について
原審が維持した第一審判決は、起訴・追起訴事実をそのまま認定したものであるが、その第一審判決の「罪となるべき事実」の冒頭には、
「被告人関根貞雄及び同関根チヱ子は、共謀のうえ、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、パチンコ店営業による売上の一部をひそかに除外して帳簿に記載しない無記名債券を購入するなどの方法により被告会社の所得を秘匿したうえ」
と摘示されている。
そしてその売上除外の具体的内容については、検察官の冒頭陳述の第2の2に記載されているとおり、本件の売上除外はハッピー文庫店のみにおいて、当時の支配人内田清一のみが実行し、その売上除外はその都度同人がチヱ子のもとに持参し、その現金がある程度たまった都度同女がそれによって無記名債券を購入し、更に債券の満期が到来する都度乗換手続きをし、その際利息に更に売上除外金を加えて別の債券を買い増ししていた。他方内田は、同店の正しい内容の売上金額から売上除外金を減額した内容の公表売上表(以下単に買売上表」という)を作成していたものである。
ところで右売上表によれば、内田の筆跡により同人が作成した日数を容易に知ることができる。そこで弁護人らが調査の結果、控訴趣意書の一九頁にあるとおり、その日数がほ脱第一年度七〇日、同二年度一三六日、同三年度九五日であることを確認した。そして右のようにチヱ子が内田から受け取った売上除外金を無記名債券に変えていたものが、本件の修正貸借対照表の勘定科目中の「債券」に組み入れられているものであって、正に右の売上除外金が「債券」の原資を形成しているのである。
したがって、売上除外金の額が少額であれば、検察官主張のような大幅な債券の増加はあり得ないのである。
そこで、売上除外金が少額であることを次に説明する。
まず、ほ脱第一年度の内田作成の売上表は、前記のように七〇枚(七〇日分)であり、その売上表に記載された売上金の合計額は一億三二一九万一〇〇〇円である(別紙五第1表の※印)。
そこで内田が売上表を作成した日の売上金の一日の平均は、一八八万八四四二円となる。
それに対して、内田以外の者が作成した売上表は二五九枚(二五九日分)で、その売上金の合計は四億七二二四万二二〇〇円(同表末行)である。
そこでその売上表の一日の平均は一八二万三三二八円となる。
右の両者を対比すると、内田が作成した売上表の方が、内田以外の者が作成した売上表の方より、売上高において一日平均約六万五〇〇〇円多くなっている位である。それだけを見ても、内田が多額の売上除外をしているはずがないことが明らかなのである
一方、検察官は、「法人税額計算書」(記録一一ないし一三号)の「所得金額の計算(その一)」(各五丁)によると、被告会社のほ脱第一年度の売上除外金は八八一八万八〇〇〇円であるという(別紙五第2表)。それを内田が売上表を作成した七〇日で割ると、一日平均一二五万九八二八円の売上除外をしたことになる。
そこで右の額と前記の内田が作成した日の売上表の一日平均一八八万八四四二円とを合わせると、三一四万八二七〇円となる(別紙五第一表「×」の「期間合計」欄参照。)これと前記の売上除外という作為的な行為の介在しない、内田以外の者の売上が一日平均一八二万三三八二円であることと対比すると、前者が後者の一・七三倍となる。一日平均の売上がハッピー文庫店において内田担当の日だけが、他の者の担当日と比べてそんなに飛びはなれて多いということは絶対あり得ないことであって、このことは第一審判決の売上除外が虚偽過大であることを明白に物語っている。
したがって、売上表を精査したならば、被告人らが売上除外により、検察官主張のような多額の債券を購入したものでないことが一目瞭然となるのである。
第一審判決の「罪となるべき事実」の第一から算出されるように、本件ほ脱第一年度のほ脱所得金額は一億一一八〇万七〇三四円であるが、この数字は別紙五第2表のほ脱第一年度の合計欄にある。そしてそのうちの約八割を占めるのが、同表の売上除外欄にある前記の八八一八万八〇〇〇円である。従って、右のように売上除外金額が虚偽過大な数字であることが明白に認められる以上、ほ脱所得金額もまた虚偽過大な、とても真実とは思えない数字であることが容易に看取されるのである。
右のようにほ脱第一年度におけるほ脱所得金額が虚偽過大なものであることと同様、同第二、第三年度における各ほ脱所得金額が虚偽過大なものであることも、前記と同じような計算をすれば容易に判明するのである。
以上の事実により明らかなように、売上表は第一審判決の認定した本件の貸借対照表の勘定科目の一つである「債券」の原資としての売上除外金額が虚偽過大で、到底ありえないものであって、第一審判決が認定した財産増減法による本件ほ脱所得に合理的な疑いを差し挟む余地が一二分に存在することを証明する有力な反証であることを如実に示している。
更に、売上表と債券が密接に関連するものであることは、次の分析からも明白である。
本件ほ脱年度内での債券の新規買の原資は、期中の売上除外金と簿外の預金・金銭信託を解約した金員である(六二年一二月三日付チヱ子検面調書三項・同四日付同調書八項参照)。したがって、期中の新規買の債券額(ただし償還益先取りで購入しているので、券面額から右償還益を控除した金額)から、期中の簿外預金・金銭信託の解約分を差し引いたものが期中の売上除外金から充当されたことになる。そこで、本件ほ脱第一年度について、債券調査書に記載されている新規買の債券の購入に必要な売上除外金はどの程度であったかを日を追って検証してみる。それが別紙六である。
例えば、期首である五七年七月一日から、期の途中の五八年一月二八日迄をとってみると、期中の新規買の債券の金額は七七〇八万二〇七四円(A)であり、右同日までに解約された簿外預金・金銭信託は一二六二万八〇二〇円(B)である。従って、右新規買の債券の原資として必要となる売上除外金は、少なくとも六四四五万四〇五四円(C=A-B)ということになる。一方、右同日迄の内田作成の売上表の枚数は三五枚である。したがって、ほ脱第一年度において、右同日までの内田の担当した一日当りの売上除外金は一八四万一五四四円(C÷三五)ということになる。しかし、前項で述べたことから明らかなように、このような一日当りの売上除外金は、全く虚偽過大なものでとうていありえない(このことは、ほ脱第二年度・第三年度についても同様の作業をすれば容易に判明する)。更に、このことは、右の一日当りの売上除外金一八四万一五四四円をその期間(五七年七月一日~五八年一月二八日)の売上表(控訴趣意書別紙<4>)の内田担当日の売上金額に加算してみて、これを内田以外の者の売上金額とを比較してみると、より一層その虚偽過大が明白となる(別紙七)。
右の一日当りの売上除外金がとうていありえないということは、債券調査書において期中の新規買として記載されている債券自体が真実新規買であったのかという問題と直結する。
そこで債券調査書中に新規買として記載されているものを、購入年月日順に並びかえて整理してみると、別紙八の※◎}のように新規買と見るべきでないものが出てくる。即ち、
イ※印 債券を買い慣れているチヱ子が、例えば額面八〇〇万円の債券を買うのには約七六〇万円用意すればよいということは十分わかっているので、八〇〇万円の債券を買うために八〇〇万円全額支払って約四〇万円の釣り銭をもらうといった煩わしい買い方をするはずがないのである。
それにもかかわらずチヱ子が約四〇万円の釣り銭を受け取っているのは、銀行員が他者の銀行でチヱ子の債券をチヱ子に代わって現金化し、銀行員が自社の銀行に戻って現金化した八〇〇万円で、新たに八〇〇万円の債券をチヱ子のために買うときは、約七六〇万円で足りるため、約四〇万円の釣り銭ということで、チヱ子に変換されたものと見るのが、社会の経験則に合致するものといわねばならないのである。
ロ◎印 債券の購入日が、前回の購入日から余りに日が接近しているため、売上除外金で購入することが不可能であるから「乗換」と考えざるを得ないのである。
(「預金調査書」「金銭信託調査書」によっても、右債券購入日に近い日に預金や金銭信託が解約された事実はなく、そちらからの金員で債券を購入したものではないから、検察官の主張からすると、売上除外金によって購入したものと見ているといわざるを得ない)
ハ}印 同一日に数口購入していることになるが、わざわざ同一日に口数を分けて購入したほうがよい理由はなく、前にあった債券をそのまま「乗換」したため、前にあった口数のままとなったと見るのが社会の経験則に合致するので「乗換」と見るべきである。
特に五八年一月一一日は一〇口に分けているが、新規買と見るのは余りに不自然であるから、「乗換」と考えざるを得ないのである。さらに前述した(二)(2)<1>以下で詳述したことを考え合わせれば、乗換がいかに多数多額に存在するかが明白んおである。
なお原審は、銀行の記録が現金買となっている以上「乗換」ではなく「現金買」(「新規買」)であることが明らかである旨説示している(三〇丁裏)。しかしこれは全く皮相な判断であり、誤りである。
では、「乗換」であるものが、なぜ「新規買」とされてしまったのかである。
当時の顧客獲得競争は大変なものであったため、債券の満期にあたって取引銀行を変えると銀行から良いサービスが得られた。そのため、チヱ子はしばしば債券が満期になると取引銀行を変えていた。その場合新しく債券を買おうとする銀行は、チヱ子がそれまで債券を預けていた銀行に行ってチヱ子に代わって債券を現金化し、その現金で新たな債券を購入した。これはまさに「乗換」そのものである。
ところが、新たに債券を購入した銀行では、前の債券を現金化したことは、全くのサービスとしておこなっているだけで、銀行業務でなく、むしろ禁止されていることであるから、前の銀行で現金化したことに関する記録は一切残していない。そのため「新規買」のごとく記録されてしまったということなのである。
以上の分析から明らかなように、もはや債券調査書は、その正確性において、極めて問題が大きいということになる。そして、売上表と債券調査書の両者は、相互チェックをすることによって、期中の新規買債券の金額もより正確性を期しうることになる。このようにして、売上表は、本件財産増減法の基礎である債券調査書と密接不可分の関係にある。
(一) 先ず財産増減法のもとでは、立証売上表は必須の証拠ではない、と説示している。しかし前記の説明のとおり、売上表が「債券」に密接に結び付いている売上除外金額に合理的な疑いを差し挟むに十分な反証であると同時に、債券調査書の内容の正確性に合理的疑いを差し挟むに十分な反証でもある以上、まさに必須の証拠というべきである。
(二) 次に検察官主張の所得額を争うには、同主張の財産増減法上の特定の勘定科目について争い、反証を提出するのが道理であり、右勘定科目に結び付かない主張・反証は関連性がないと説示する。しかし右のように売上表は、特定の勘定科目の一つである「債券」に密接に結び付いている売上除外金額につき、その内容を争うために反証として提出したものであるし、かつまた、ほ脱期間中の新規買の債券の金額そのものについても、その内容を争うための反証となりうるものであるから、まさにそのものずばりに勘定科目と強い関連性のある証拠である。この点に関する原判決の右の見解は「財産増減法」や「損益計算法的手法と称するもの」という言葉にとらわれて、売上表の持つ本質的意義に対する洞察を忘れた、愚かな見解に過ぎないと申しても過言ではない。
(一) 物証につき
控弁三、六、四〇ないし五五、七三ないし八一号証(平成元年九月一一日付証拠申請書の正誤表及び同申請書中の「一、書証」の立証趣旨の補充書の二に記載)
(二) 人証につき
<1> 証人関根チヱ子に対する尋問(尋問事項の(一)、(三)の(1)ないし(3))
<2> 被告人質問(質問事項の(三))
<3> 証人関根晋に対する尋問(尋問事項(三)の(2)ないし(4))
<4> 被告会社代表取締役関根慎に対する質問(質問事項の(三)の(1)、(2))
(以上<1>ないし<4>については、平成元年一一月一四日付証拠調申請書追加その二の一の1、2、二の1、2に記載)
の証拠調を申請したのである(控訴趣意書二一頁ないし二三頁)。しかるに原審は右のように、おおよそ理由にならぬような、不合理な、矛盾も甚だしい理由をもって、職権で右の各証拠を取調べる必要性がないとして、その申請を却下した。これは刑訴法三九三条一項本文に違反し、それが著しく正義に反するものであることが明白である。
ところで、既に述べたように「債券調査書」については、そこに期中の新規買として記載されているものが、実はそれ以前から存在した債券を「乗換」たものというべき分が、相当の金額にのぼることが明らかになっている。又「集計メモ」等によって判明した検察官認定洩れの分は、とりもなおさず「預金調査書」及び「金銭信託調査書」に洩れがあったことを意味する。更に役員借入金の金額が約二億一七〇〇万円であることについては、チヱ子供述とそれをいわば追認した形での被告人供述のみであり、又「約二億一七〇〇万円以上には被告会社に出していない。被告人らの個人的資産で債券に転化したものは別途管理している。」ということについては、第一審公判における被告人の供述のみであって、いずれにしても役員借入金について、それを裏付ける補強証拠は全くない。それどころか逆に弁護人らはほ脱第一年度期首の時点で、被告人負債の個人帰属資産が公表されないものだけで約六億円強にも達しており、それらが本件簿外資産の形成原資になっているとの暗礁を十分に用意できるのである。
この様に、本件ほ脱所得金額を確定するための各証拠が、その正確性を著しく欠くものであることは極めて明らかとなっている。しかも、これらの各証拠の作成日付は六二年一二月二五日であり、既になされた被告人夫妻の自白を補強するものという体裁を整えてはいる。しかし、本件のほ脱所得金額は、既に国税当局が告発をした時の金額と全く同額である。このことは国税当局が告発時点で、既にこれらの各証拠を本件ほ脱所得金額の確定のための基礎資料として作成していたこと、そして、検察官の捜査・取調がこれらの基礎資料の数値をそっくりそのまま被告人らに追認させようとの意図のもとになされ、まさにその意図どおりに被告人夫妻が自白させられたという経過が如実に示されている。即ち、結局のところ前記各証拠の正確性は、被告人夫妻の供述によっては全く吟味されないままに終ったことになる。
このように、前記各証拠が全く正確性を欠くということは、換言すれば、財産増減法による本件ほ脱所得金額算定の基礎となっている「資産」「負債」の各勘定科目に記載されている金額が正確でない、即ち「実額」でないことを意味している。このことはほ脱所得金額確定の方法として、財産増減法を適用する場合の根本に係わる問題を生ずる。即ち、
ほ脱所得算定に損益計算法の例外として財産増減法が認められる。その場合の財産増減法は、「静態論」(古典的意味における財産法であり、時価評価を原則とし、一定時点における企業の総財産額を示す意味のもの)ではなく、「動態論」(複式簿記を前提として、原価評価を原則に、継続企業の当期利益を示す財産法)によるものである。何故なら、前者は、正確に一定期間における財産増減法は、企業利益を「資産」「負債」の側面で把握するもので、「収益」「費用」の側面から把握するのと、把握の仕方が異なるに過ぎず、損益計算法による当期利益と財産増減法による当期利益とは当然に一致することになるからである。
それ故、動態論による財産増減法においては、当然のことながら、「資産」「負債」の各勘定科目につき、決算記録等から誘導されて、一つ一つ金額が確定され、それに基づき貸借対象表が作成され、期間利益が算定されていくという仕組みとなっている。そして、右の「資産」「負債」の個々の勘定科目が「実額」である限り、実際に損益計算法によって計算上得られたであろう金額と同一か、又は少なくともそれを上回らないことが確実に保障され、右損益計算法による場合を超えて数値が出現することは、会計上絶対にありえないのである。
こうした会計的論拠をもとに、初めて、ほ脱所得の算定において、損益計算法の例外として財産増減法が認められるのである。
以上のことから明らかなように、財産増減法によるほ脱所得の算定に当っては、その基礎となっている「資産」「負債」の各勘定科目の金額が「実額」であることが当然の前提となっているのである。それ故、右金額をいかに実額で把握するかはまさにほ脱所得算定の本質をなす作業といっても過言ではない。
にもかかわらず、本件においては、その「実額」確定の作業が余りにも安易且つ形式的であると言わざるをえないのである。そして、このように実額であるかどうか全くあやふやな金額をもって修正貸借対照表を作成し、本件ほ脱所得金額の算定を行なったことになる。その結果いかなることを生じたか。既に及びで述べたように全く虚偽過大の売上除外がなされたことになってしまうのである。
いずれにしろ、もはや財産増減法による本件ほ脱所得の認定には、余りにも大きな合理的疑いが存するのである。
(五) 「理由1」「同2」について
(1) 原判決は、先ず「理由1」において、関係証拠(もちろんこれは第一審の証拠の意味と思われる)に基づくとして、次の諸点について事実認定をしている。
<1> 被告人の役職、前科、本件脱税が再度であり、その開始は五四、五年ころであること、被告人が指示して売上除外をさせたこと、それをチヱ子が債券購入にあて、これらの債券を自宅や貸し金庫に隠匿していたこと(判示(1))
<2> 東京国税局が被告人らの多額の簿外債券の購入を探知し、査察に入り、通帳その他本件の事案の解明の手掛かりとなる疎明資料を差押えたが、簿外債券自体を見つけだすことはできなかったこと(判示(2))
<3> 被告人らは債券の保管場所につき、査察官から追及されても、当初は極力明かさず、その後の執拗な追及でその一部(約二億五〇〇万円)については告白したが、その余(四億ないし五億円)については明かさず、それらを知人、親族その他に預けて隠匿したほか、熱海の関根ビルにも隠匿したこと(判示(3))
<4> 国税当局が、本件法人税法違反事件を横浜地方検察庁に告発し、被告人らが身柄不拘束のまま取調を受けることになったこと、一方、被告人らは関・岡本両弁護人らを選任し、本件捜査の初期の段階から、同弁護人らの弁護の下に捜査に対処していたこと(判示(4))
<5> 被告人らは、法人税法違反の事実につき否認し、簿外債券の購入原資はすべて個人の隠し預金による旨弁解し、他人の定期預金の利息計算書を被告人らの仮名預金にかかるものと偽って銀行員に作成させて、国税当局に提出するなど、虚偽の証拠作出や証拠の隠滅工作等をしていることが疑われる状況が出てきたので、被告人らを逮捕・勾留するにいったこと
<6> 被告人らは右逮捕・勾留に対応して、関・岡本・豊島の三弁護人を選任したこと、被告人は勾留の翌日の一一月二〇日から自白し、チヱ子も同月二七日ころから自白するようになり、以来、捜査、第一審公判を通じ終始一貫して自白を続けていること
又、被告人は、勾留理由の開示に際しても、事実を否認したり、検察官の取調の不当性を訴えたりせず、もっぱら早期釈放を懇願していたこと(判示(6))
<7> それまで隠匿場所を明かさなかった四億円以上にものぼる簿外債券について、被告人がその所在を検察官に明した経過(判示(7))
<8> 本件起訴並びに神宮・石井両弁護人の選任と前記三弁護人の辞任(判示(8))
<9> 第一審公判において、被告人らが神宮・石井両弁護人らとともに終始公訴事実を全面的に認めたこと、又、被告人らの個人資産には売上除外と混合運用していた分とそうでない分とがり、本件対象年度において、混合運用されていた個人資産は二億一七〇〇万円位であって、それ以上ではないこと、混合運用していなかった個人資産で債券に転化したものは別途管理していることなどを供述していること(判示(g))
以上の事実認定をふまえ、判決は「理由2」において、
「前記認定のように……極めて打算的に対処してきた本件の経過に照らすと」と、本件ほ脱額が真実は約五分の一という少額にすぎないのなら、検察官の取調べや、第一審公判においてその旨を当然主張しているはずであり、その主張をせずにその五倍もの金額を認めたのは、たやすくこれを信じ難い、と説示している(原判決書一二丁裏)。
(2) しかし右の原判決認定の経過そのものの中には、原審において弁護人が強く争い、もしくは争おうとした多くの点がある。例えば、
<1> 売上除外開始時期は五四、五年頃であったか-この点については、控訴趣意書の九四頁ないし一〇三頁において詳述したとおり、五四、五年頃からではなく、五六年頃フィーバー機が導入されて、売上が急増した頃からが真実なのである。
<2> 被告人が売上除外を指示したのか-この点については、控訴趣意書の二頁ないし三頁、一〇六頁ないし一〇八頁にあるとおり、チヱ子と内田が共謀のうえ、チヱ子のへそくり捻出のために売上除外を始めたが、その途中で被告人がこのことを知って厳重に注意した。ところが両名がその注意を聞かないで売上除外を継続したが、被告人が二度と注意することなくそれを放置したもので、被告人はこのことについては、不作為の責任ともいうべき消極的な係わりかたをしたにすぎない。したがって被告人が両名に対し売上除外を指示したようなことは絶対にないのである。
<3> 国税局の査察の実態及びそれに対する被告人らの対応はどうであったか
<4> なぜ被告人らは債券類を隠そうとしたのか-この点については、国税局の調査の時点で、チヱ子が自宅の階段下に保管しておいた無記名債券が調査漏れで、その後三、四日して発見された。被告人としては、昭和二六年の創業以来の個人経営時代の預金や、被告会社からの給料、配当、家賃や父親からの遺産の大部分を、金利の高い無記名債券に切り替え、本件の売上除外金も右の無記名債券の中に一部含まれていることを、査察後チヱ子より聞いていた。しかし無記名債券なので、それがどの金員が債券に化体したのであるかが判らなかった。そこで関弁護人に相談したところ、「国税局から指摘がないものを提出しても、余計に誤解を招くおそれがある」と言われた。そこで被告人は深く考えないで、それらの無記名債券を知人、親族その他に預けたり、熱海の関根ビルに移したりしたのである。したがって、原判決のように、被告人が悪意をもって隠匿したようなことは決してなかったのである。
<5> 原判決は、「被告人は他人の定期預金の利息計算書を被告人らの仮名預金にかかるものと偽って銀行員に作成させて国税当局に提出するなど、虚偽の証拠作出や証拠の隠滅工作をしている……」と事実認定をしているが、これが真実であるのか-この認定は明らかに事実の誤認である。
本件につき査察を受けた後、チヱ子は、その前年に解約した仮名預金が東海銀行金沢文庫店に多数あるとの記憶があったので、その預金の内容の調査を同支店に依頼した。そして、チヱ子は日を改めて、右預金について自分のものかどうかをチェックするべく、同支店に赴いた。同支店では既に仮名預金の伝票を用意してチヱ子を迎えた。ところでその当時の銀行は、顧客の口数を増やすという営業政策から、仮名預金の獲得には極めて積極的で、例えば、営業担当者自らが仮名の印鑑をいくつも用意し、しかも、預金伝票の記入も預金者本人に代わって代筆するというのが当り前となっていた。そのため、チヱ子が銀行の用意した伝票をチェックしようとしても、その筆跡からは全く出来なかった。残るは伝票に押印されている印鑑の照合ということになるが、既に国税当局が査察の時点でチヱ子の所持する印鑑を全て押収していたため、その照合によるチェックも不可能であった。そのため、チヱ子としても、自分の定かでない記憶を頼りに自分の預金かどうかをチェックするのほかない状況となっていた。
このようにして、チヱ子としては、自分の記憶に基づいて、自分のものと思われる伝票を銀行担当者に示し、その預金についての計算書の作成を依頼せざるをえなかった。ところが実際には、その伝票の中に、黒田名義の仮名で預金していたものもあり、しかも、その黒田名義の中の一部に、ここで虚偽の証拠作出であるとして問題にされている黒田某のものも入っていたのである。もはや、チヱ子の記憶のみではとうていチェックの限界をこえていたやむを得ない混在ということであった。
ところがその後になって国税局より連絡があり、どこの銀行のどの名義の預金かは明らかに指摘しないまま、単に「よその人の預金の計算書が入っている。その計算書は誰に貰ったのか。銀行が一個人に対して出すわけがない。」と言ってきた。当時はそれ以上の調査もなく、そのままチヱ子としても失念していたが、その後本件訴追を受け、初めて右の件が国税当局に虚偽の証拠作出ととられられていることが判った。結果としては、合計四二〇万円のよその人の預金の計算書を国税局に間違えて渡してしまったことになる。しかし、これは、右に述べたように偶々、同じ姓の黒田という名義人の預金が存在していたこと、しかも、そのチェックをする確かな手段もないままに、チヱ子の思い込みによって生じた間違いであって、チヱ子が悪意で虚偽の証拠を作出したというものでは決してなかったのである。
<6> 被告人の自白は一一月二〇日からというが本当か。そして被告人は神宮弁護人を選任する以前から自白していて、第一審判決時まで終始その態度を変えなかったのは何故か-被告人は一一月二〇日からではなくて、翌二一日から本件の売上除外の自白を始めたのである。又被告人は表面的には、神宮弁護人が新たに選任される以前から自白を始め、それが第一審判決時まで続いているように見える。しかしその内実は、控訴趣意書の七八頁ないし八六頁において詳述したとおり、被告人が逮捕・勾留された後の一一月二一日頃から検事により執拗に「一年一億、三年三億」という数字を認めろと強要され、それに屈してやむなく自白調書の作成に応じた。そのうえ前述のとおり、勾留直後から検事よりする弁護人の交替強要問題が持ち上がり、被告人はこれ又その強要に屈して弁護人を交替するのやむなきに立ち至った。そして神宮新弁護人から、絶対に検事や第一審裁判官に逆らうなと、厳重な口封じをさせられたため、それまでの自白を維持するの一途しか道がなかったのである。したがって被告人は捜査から第一審公判にかけて終始自白を維持したもののように見受けられるが、その自白調書は全て虚偽の作文調書なのである。
<7> 勾留理由開示に際し、何故被告人は事実を否認したり、査察官の取調の不当性を訴えたりせず、もっぱら早期釈放を懇願したのであるか-この点については、被告人は勾留理由開示の何たるかを全然知らず、ただ関弁護人から「勾留理由開示の申請をするから、何か意見があるなら、書面にしたためて出すように」と言われたが、チヱ子の病気が心配であった等の理由で、とにかく早く外に出たいとの一心で、早期保釈の懇願をしたのである。そのため、虚偽の自白もしたほどであり、再び否認すれば、いつ出られるか分からなくなってしまうのであって、右開示の際に被疑事実を否認したり、検事の取調の不当性を訴えたりするようなことは、思いも及ばなかったのである。
<8> 被告人が第一審公判において、売上除外と混合運用されていた個人資産は、約二億一七〇〇万円であって、それ以上入っていないとし、混合運用していなかった個人資産で債券に転化したものは別途管理している等と供述したのは何故か-この点については、前述のように、被告人が神宮弁護人より厳重に口封じをさせられ、そのうえ、「自分の質問に対してはこのように答えるように」と、同弁護人から具体的に事細かに指示されたので、あたかも操り人形のように同弁護人より質問されるままに、前述のような供述をしたものである。したがって被告人の右の供述は真実の内容を述べたものでは決してないのである。
いずれにせよ、第一審においては、弁護人らの交替による口封じという重大な問題があったことは紛れもない事実である。この間の経過について原判決がことさらに判断を回避し、安易に、第一審の関係証拠のみをもって事実の経過を認定している態度は、極めて問題であるといわざるをえない。しかも、前記<1>ないし<8>の諸点につき真実はどうであるかは証拠調をしないと判らないことである。このように証拠調をしないと判らないことを、その取調を拒否する根拠にすることは、既に述べたと同様に、全くの論理矛盾、自己矛盾で到底承服することができないのである。
仮に百歩譲って被告人らに原判決摘示のような「打算的に対処してきた本件の経過」があったとしよう。しかし、本件においては、一方で第一審判決認定のほ脱所得金額と明らかに矛盾する有力な証拠が存在する。即ち、前述のとおり「売上表」による内田清一の担当日数からすると、第一審認定のほ脱所得金額一億一一八〇万七〇四三円は到底ありえない荒唐無稽な金額であるということである。こうした明白な矛盾を指摘する証拠物の存在に、なぜ原判決は目を開こうとしないのか。被告人らの対応が仮にどんなに打算的であったとしても、それは単なる誘因に過ぎないはずである。そうした誘因だけで片付けることのできないほどに、重大な矛盾を指摘する証拠が存在する以上、真実を明らかにするためには、何よりも先ずこの点の矛盾を解明し、それらの証拠物につき証拠調を行なうことこそ、原審の重大な職責であるはずである。然るにこのような職責を放棄した原判決の態度は、もはや予断と偏見そのものであって絶対に許されないものであると言うべきである。
二、第一審で取調済みの証拠にもとづく弁護人らの事実誤認の主張について、いずれも理由がないとする原判決(原判決書第二)の誤り
1 原判決は、弁護人らの主張、即ち、
(一) 債券調査書一四丁の債券内訳書第二段に記載されている第三八九回額面八〇〇万円の債券は、その記載内容に照らし、「現金買」の分ではなく「乗換」分であること(原判決書第二の1)
(二) 債券調査書三七丁の債券内訳書記載のワリチョー第三七四回の額面一〇〇〇万円の債券は一年満期のものであり、内訳書の記載からは次年度への乗換はなく、単年度で解約されたと見ざるをえないので、第三期期末の簿外債券から除外すべきであること(同2)
(三) 金銭信託調査書七丁の貸付信託残高及び収益調査書に記載されている中央信託銀行藤沢支店扱い証書番号二三四一一一〇の貸付信託・金銭信託にかかる第三期期末残高一五五万八五四円は、被告人が被告会社から家賃として受領した三〇〇〇万円をもとにしたものであり、個人帰属の資産運用になるものであって、個人資産として既に六〇年度の被告人の確定申告書に記載済みのものであって、被告会社の簿外資産とすべきではないこと(同3)
等の諸点につき、いずれも理由がないとしている。
2 しかし、原判決のこの判断は全く審理不尽にもとづく形式的判断の帰結にほかならない。その理由は次のとおりである。
(一) 先ず指摘すべきは、原審における証拠調の実態についてである。既に詳述したような原審の財産増減法に対する無理解から、原審での弁護人らの主張をもってしては、本件のほ脱所得の金額には全く影響がないとの原審での独断が前提になっていると思われるが、原審での証拠調は、被告人側の立証に関するかぎり、その立証事項の範囲も、人証の範囲も、更にその尋問時間についても、極めて制限された中で行なわれたのである。即ち、その立証事項範囲については、第一審判決について述べたいことがあれば、何でも開陳して結構である、しかしそれが個別的な証拠にわたることは困る、概括的に述べてほしい、という限定つきで許された。そのため、人証及び質問時間の範囲も弁護人申請の四名・九時間が、二名・二時間と減縮され、これらの時間の利用は弁護人らに委ねられたのである。
このように被告人側の立証は極端に制約されたので、その当然の帰結として、前記1の(一)~(三)の諸点についての立証は、極めて簡略化せざるをえなかった。
(二) このような証拠調をした結果、原審の判断も、これ又当然のことながら、予断と偏見に満ちた形式的なものというのほかない。以下その点を具体的に指摘する。
(1) 先ず、前記1(一)の点につき、原判決は「現金買」が明らかであると判示している(原判決書三〇丁裏)。しかし、これは明らかであると判断している(原判決書三〇丁裏)。しかし、これは明らかに経験則に反するもので、事実誤認である。この判断は、伝票記載上「現金」が入金されていることのみをもって「現金買」であるとしているが、その伝票に記載のある金員(つり銭)の流れの意味を全く理解しようとしていないのである。その金員の流れを経験則にのっとって判断すれば、それは弁護人ら主張(控訴趣意書三八ページ)のとおり「乗換」であることが明白である。こうした原判決の過ちは、そもそも「現金買」とは何か、「乗換」とは何かにつき、事実調を通じて吟味しようとする姿勢を欠いていることに由来する。
(2) 又、前記1(2)の点につき、原判決は「『債券の償還等の照会について』の回答により昭和六〇年六月三〇日現在において未償還であることが認められ、解約されていないことが明らかである(原判決書三一丁表)」と述べている。しかし、問題は右回答書の記載内容の意味をどのように理解するかにある。そしてその意味を正確に理解するためには、問題になっている第三七四回の債券に関する記載だけでなく、同時に右回答書に記載されている他の債券、例えば第三七五回の債券に関する記載などとも比較した上で、結論を出すべきである。ところがそれが全くなされないままに右の判断がなされているのである。
(3) 更に前記1の(3)の点について、原判決は「昭和五九年分の関根貞雄、チヱ子の各確定申告書の『財産及び債務の明細書』には昭和五九年一二月三一日現在の所有債券として、日本長期信用銀行及び商工中央金庫の債券合計九六〇〇万円を計上しているが、所論の貸付信託・金銭信託についての記載はなく、被告人の個人資産とはしていなかったことが明らかであり、それが被告人の個人資産であることを裏付ける証拠はない。」(原判決書三一丁裏)としている。
しかし、これも極めて表面的な形式判断と言わざるをえない。確かに右判示のように右「財産及び債務の明細書」には一見記載がないように見える。しかし、実際には関根貞雄の右「明細書」の長期信用銀行横浜支店六三〇〇万円の中に内訳はのっていないが、内容的には記載されているのであって、その立証にはある程度の時間を必要とするところ、前述のようにして、被告人側の質問時間等の制約から、結果として十分な立証をすることができなかったのである。
(三) このように、前記諸点に関する弁護人らの事実誤認の主張に対する原審の判断は、実質的・実態的判断をことさらに避け、表面的、形式的判断に終始したものである。こうした原審の審理態度はまさに本件事案に対する原審の「たかをくくった」姿勢を如実に示している。そしてその原因は、前述のような財産増減法に対する無理解からくる予断と偏見によって導き出されたものであると言うほかならないのである。
三、原判決書「第三控訴趣意書第二の一の7の被告人夫妻の検面調書の作文調書性と題する主張について」の誤り
1 原判決は、弁護人の作文調書性に関する主張につき、<1>本件ほ脱年度における売上除外金、<2>売上除外を行なうに至った経緯、<3>売上除外開始の時期、<4>売上除外の主体、<5>ほ脱第一年度期首に至るまでの個人帰属の簿外資産の増加、<6>本件ほ脱第一年度期首における簿外資産の内訳について、に分け、更に
「所論が原判決の認定する罪となるべき事実につき事実誤認があるとして争う点は、税額算出の基礎となる対象年度の課税標準、すなわち、被告会社の所得がいくらかということであり(逋脱所得額、逋脱税額は実際の所得額の確定を持って初めて算出される。)本件が所得算出の方法として一般に認められている方法のひとつである財産増減法により、冒頭陳述書添付の修正貸借対照表、逋脱所得の内訳、逋脱税額計算書のとおりの計算がされていること、もともと、被告会社の対象年度の所得額算出は、修正貸借対照表の勘定科目である債券・預金・金銭信託・役員借入金を基礎に行なわれており、これら勘定科目の立証は大蔵事務次官作成の債券調査書・預金調査書・金銭信託調査書及び役員借入金調査書によって行なわれているから、これら調査書に記載されている事項で、しかも所得計算の結果に影響を及ぼすものを取り上げて争うのでない限り、控訴審で取り上げることになんら意義はないところ、所論は、………被告人らの供述調書についてもその点に関する被告人らの供述の真実性を問題とするものではない。したがって、所論が採りあげる被告人調書の作文性の問題も原判決認定の所得額には何ら影響はなく、実益のない主張に過ぎない、」と説示している(原判決書三四丁裏~三五丁表)。
2 しかし、この判断も財産増減法に対する前述の無理解がそのまま反映した誤りをいくつか示している。例えば、前記<5>及び<6>の問題である。<6>にいう「簿外資産の内訳」とは具体的には、売上除外分と個人資産混入分(役員借入金)ということであり、<5>の問題は<6>の問題のうちの後者(役員借入金)と直結する問題であり、その意味で<5>及び<6>は一体不可分の関係にある。ところで既に指摘したように、本件において役員借入金の金額の多寡は、そのまま本件ほ脱所得の金額に直接影響を及ぼす問題であり、しかも役員借入金は本件で採用された財産増減法の基礎資料となっている「役員借入金調査書」に直接係わる事項でもある。それゆえ<6>及び<5>の問題は、まさに原判決の言う「役員借入金調査書に記載されている事項で、しかも所得計算の結果に影響を及ぼす」事項を取りあげて「その点に関する被告人らの供述の真実性を問題にしている」のである。ことに本件ほ脱第一年度における期首の簿外資産の確定方法は、明らかにチヱ子の検察官に対する六三年一二月四日付の供述調書に基づいて確定されている。このことは役員借入金について明白である。そしてその根拠となったチヱ子の供述の数字には、全く裏付けがない。このような場合、チヱ子が供述した経緯を確かめてこそ判断の正確性が担保される。しかるとき被告人らの供述が単なる作文であったか否かは、本件を左右する「実益のある主張」なのであり、これを原判決が「実益のない主張にすぎない」としている点は全くの誤りであると言うのほかはない。
3 又、原判決は前記<2>ないし<4>の点についてはいずれも量刑に関する事実にすぎないとしている(原判決書三四丁)。
しかし、<2>についてはともかく、<3><4>については厳格な証明の対象となる事実であり、このことは既に述べたとおりである。又、仮りに量刑に関する事実であっても、その真実性に疑いある場合には、果たして真実はどうなのかを吟味するのが原審の当然の職責である。量刑に関する事実だから自由な証明で足るとしても、真実性に疑いのある場合には、原審は真実究明を放棄することは出来ない。とりわけ本件では、第一審の段階で弁護人がその意思に反して交替させられるという、検察官の憲法違反行為の介在した事実を考慮すれば、原審における真相究明の必要性はなお一層大きくなるはずである。しかも、<2>ないし<4>で問題になる事項、即ち本件における動機・開始時期・被告人の本件への係わり方など、それぞれが相関連して被告人の情状の重要部分を決定づけるものであって、その真実が何であるかは本件の量刑の判断に極めて重要であることが明白である。
こうした重要な諸点が、被告人夫妻の検面調書において、余りにも真実とかけ離れ、弁護人らから見れば虚像としかいいようがない場合、検面調書が果たして真実といえるのかどうかについて原審は判断を示さなければならない。この観点から、弁護人らは作文調書性を問題にしているのである。にもかかわらず、検面調書に全面的に依拠し、なぜ弁護人らの前記主張が否定されるべきであるかの判断を示さず、量刑に関する事実にすぎないから実益がない主張であるとする判旨は全くの形式論であり、とうてい納得できない。
四、原判決書「控訴趣意書第二点(量刑不当の主張について)」の誤り
1 原判決の「第一被告富士工業株式会社及び被告人関根貞雄の両名について」における説示は、一言で言えば第一審判決の摘示した量刑に係わる事実をそのまま上塗りしたものである。そして、これも又、原審の財産増減法に対する無理解から、弁護人らの主張をもってしては本件所得額には影響がない、との誤った判断に由来するものである。
即ち、原判決は「三事業年度における合計二億七六八七万円余の所得を秘匿し合計一億一七八〇万円余の法人税を免れた事案であってほ脱額が高額である」(原判決書三六丁裏)と決めつけ、又「本件各事業年度における所得額が過大に認定されたような事情は全く存しない」(同三七丁裏)とまで断じている。
しかし、既に何回も指摘したように、こうした原審の財産増減法の理解が全く誤っていること、逆に原審が財産増減法に対する正しい理解を持ち、弁護人らの申請を受け入れて、集計メモ、売上表を始め、それらにからむ一切の証拠調を実施したならば、控訴趣意書の七五頁にあるとおり、いわゆる損益計算法に基づいて算出した本件三年間のほ脱所得の合計が最大限六〇二一万四七七〇円となり、また財産増減法に基づく同三年間のほ脱所得の合計が一億一〇四三万八二八五円となること、したがって原判決の右の判示がいかに虚偽過大で、砂上の楼閣であるかが、一目のもとにさらけ出されてくるのである。
2 又、原判決は、「従業員に指示して日々の売上金の一部を除外させた上、被告人宅に持参させこれを金庫にため込み……」(原判決書三六丁裏)ともいう。
ここに「日々の……」とは「毎日の」というニュアンスで使われている。しかし「売上表」の筆跡で明らかなように、売上除外をした内田作成の売上表によれば、同人の担当日数は、第一年度七〇日、第二年度一三六日、第三年度九五日であり、仮に右担当日のすべての日に売上除外をしていたとしても、これを「日々の」という言葉で表現することは、あまりにも実態とかけ離れた不正確な誇張した表現であるといわざるをえない。むしろ第一審の冒頭陳述に引きずられて内田が毎日売上除外をなしていたという誤った認識を示すものである。又「従業員に指示して」ともいうが、この点は原審で弁護人らが争点の一つとしたところである(控訴趣意書三頁、九二~九三頁、一〇六~一〇八頁参照)にもかかわらず、十分な事実調もしないで単に、第一審記録のみをもって誤った判断をし、のみならず「金庫等にため込み」と、偏見に満ちた表現を使っている。
要するに原判決は、被告人の本件への係わり方について、弁護人らがるる述べれば述べるほど単なる言訳的言辞ととらえて、その真実か否かを一向に吟味しない。一方、検面調書中、被告人に不利な記載は自由な立場でなした自白と見なして全面的に信を措いている。これほど被告人らの原審公判における供述を無視して、いたずらに検察官の立場を援護する原判決は、常識では到底考えられない。原判決によれば被告人はパチンコ店の経営者であり脱税の常習犯であるという偏見そのものを有している。「人を疑う心を持てば疑いの目で物を見るようになる、かくては人の本当の姿を見ることは出来ない」とは先哲の格言であるが、原審は本件について、被告人らの実態をさらけ出した切々たる涙ながらの供述もとるに足りないとして、いたずらに実像とかけ離れた被告人の虚像を作り上げ、これを独り歩きさせたとしかいいようがないのである。
3 とりわけ問題なのは、原判決書の三八丁表の「所論の<3>について」の項の売上除外の開始時期の点である。
(一) この点に関する原判決の決定的な誤りは「前述のように所論のいうようなほ脱第一年度期首における簿外資産の内訳として売上除外分による分がいくらで被告人の個人出捐分による分がいくらかを確定することは、対象年度の期間的利益の算出になんら影響を及ぼさないのであり」(同三八丁裏)と説示している点である。
この判断は原審の財産増減法の理解、即ち「要するに、本件ほ脱対象年度の第一期の期首において存在したとする『役員借入金』の多寡は財産増減法の計算上所得金額には影響を及ぼさない」(原判決書二九丁表)という説示から帰結される当然の結論ではあるが、この理解が全くの誤りであることは前述したとおりである。まさに個人出捐分については、共有概念にもとづき、それを会社資産と峻別して会社資産から除外すべきものである以上、個人出捐分の金額の多寡は、当然のことながら対象年度の期間利益の算出に影響を及ぼすのである。
このような原判決の誤りを前提にした、それに続く説示「対象第一年度の期首の売上除外金額に達するように売上除外の開始時期を遡らせるといったことの必要性はなく、所論のいうような虚構の筋書きを立ててまで無理にいわせたとは認め難い。」(同三八丁裏)とするところは、もはや全く説得力を欠いた空虚なものであると言うのほかはない。このように自らの無理解にもとづく独断のゆえに、本件の実像がどういうものであるか、という真実を見きわめようとする視点を全く欠いた説示は、説示の名に値しないものであると申しても過言ではない。
(二) 又、原判決は売上除外の開始時期に関する被告人らの検面調書に「昭和五五、五六年ころ」とするものと「昭和五三、五四年ころ」とするものがあり、第一審判決が後者のほうがより信用性があるものとしてそれに依拠したことに採証法則の誤りがあるとは認められない旨をも説示する(同三八丁表)。
しかし、この説示は全くのスリカエといわざるをえない。第一審においては弁護人交替問題の故に、被告人らにおいては右開始時期につき「昭和五三、五四年ころ」と認めざるをえないままに審理が終了しているのである。したがって、第一審判決がそれに依拠したことは当然のことであり、そこには採証法則の誤りなぞあるはずがない、現に弁護人らも第一審判決の採証法則を云々しているのではない。弁護人らが問題にしているのは、本件の捜査及び第一審の段階を通じて、弁護人の交替による口封じという前代未聞の憲法違反の行為が介在したため、真実が余りにも歪められたが故に、原審でその真実が何かについての取調を行なうべきであったということに尽きるのである。本来行なうべき事実調を全くしないで、全く別個の独断的な論理で、この開始時期を第一審通りであると判断する原判決の説示は、スリカエ以外の何ものでもない。
(三) いずれにせよ、本件において売上除外はいつから始められたのか、その実態の真相を明らかにすることは、被告人の情状を判断するうえでも極めて重要である。それは単に売上除外金がどの程度の期間にわたっていたかということのみではなく、その売上除外の金額的なスケールやその動機の認定等とも密接に関連するからであり、その点の真実が説明されて初めて第一審で作られた本件の虚像が打ち破れて、より実像に近づくはずである。本件での真実を明らかにし、正義にかなった裁判を実現するためにも極めて重要なのである。
4 原判決は「所論の<4>について」の項(原判決書三九丁表)で、本件犯行の動機が被告会社の裏金が必要であったことを肯定しているが、控訴趣意書の八七頁ないし九二頁にあるとおり、裏金作りが本件犯行の動機であったのではない。同趣意書の九二頁ないし九四頁で詳述したとおり、内田とチヱ子の共謀によるチヱ子のいわゆるへそくり(多くの家庭でやっている小規模なものという意味である)捻出のための売上除外が本件の動機である。そして同趣意書一四三頁にあるとおり、右売上除外の本質等を考えれば、被告人のこの点に関する犯情は極めて軽微で、原判決が説示するように、チヱ子のへそくり捻出のための売上除外が裏金作り(かりにこのことが実際あったとしても)より一層悪い動機であったとは絶対に言えず、原判決の右の説示はいたずらに被告人を悪者扱いしようとする、悪意と偏見から出たものとしか考えられないのである。
又原判決は被告会社がパチンコ店を八店舗も持ち、神奈川県下で最大の部類に属する経営規模を有し、五七年当時までにも相当の資金を蓄えており、被告人個人も非常に多額の資産を有していたのであるから、さらに脱税までして蓄財することに斟酌すべき事情はない、と説示している。しかし、前述のように、被告人が進んで蓄財のために脱税したのでは決してない。チヱ子と内田がチヱ子のへそくり捻出のために売上除外をしているのを知って一度は厳重に注意したが、二度目からはそれを見逃して注意しなかったので、両名が本件ほ脱三年度間(正確には二年半の間)にわたりそれを継続したのである。したがって、この点に関する被告人の犯情も甚だ軽微であって、斟酌に価するものが大いにある。
5 原判決は「所論の<5>について」の項(原判決書三九丁裏)で、被告人は検察官の取調以前から本件脱税を否認したと説示しているが、被告人は国税局の調査の段階では自ら刑事事件となるような脱税をした憶えが全然ないので否認したまでである。そして本件の脱税については、逮捕、勾留直後検事の強硬な追及に耐えかねて、チヱ子を一日も早く出したい一心から、かつてチヱ子から聞及んでいたことをヒントに本件のいわゆるチヱ子のへそくり捻出のための脱税を自白するに至ったのが真相である。したがって、検事の取調以前から執拗に本件ほ脱行為を否認したと被告人をあしざまに非難する原判決は、これ又悪意と偏見に満ちた態度から出たものであって、到底容認することができない。なお被告人が債券証書を隠匿する等の行為を行なったとする原判決の説示については、前述したとおりの経過で、債券証書を知人に預けたり、関根ビルへ移したりしたものであって、これ又被告人を悪者扱いにしようとする先入観から出たものにほかならないのである。
6 一方、原判決が四〇丁の<6>から<10>において摘示しているように、被告人には、次のとおり同人のために酌むべき有利な情状が数多く存在する。(なお原判決の四一丁参照)。そのうち贖罪寄付については、
第一審において
日本赤十字社に対し 被告人 三〇〇〇万円
チヱ子 二〇〇〇万円
原審において
交通遺児援護基金として 被告人 三〇〇〇万円
チヱ子 二〇〇〇万円
上告審になってからではあるが、第一審の約束の履行として
藤沢市に対して被告人が
愛の輪福祉基金として 五〇〇〇万円(別紙九)
文化進行基金として 五〇〇〇万円( 〃 )
神奈川県ともしび基金に対して 被告人 三〇〇〇万円
チヱ子 二〇〇〇万円
以上のように被告人及びチヱ子は贖罪の寄付をなした。これらを合計すると二億五〇〇〇万円に達する。
本件のような経済事件について、このような贖罪は、被告人の恭順の意思及び悔悟を明らかにするものである。
7 以上1から6までの諸点を総合すれば、被告人を懲役八月の実刑に処した原判決は、量刑が余りにも重きに過ぎて大いに不当で、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと言わざるを得ないのである。
五、以上要するに、原判決が刑訴法三九三条一項本文の裁量権の行使を逸脱し(審理不尽)、弁護人らの請求にかかる証拠の取調を検察官の同意ないしは異議のなかった証拠のみに限定し、その余の証拠請求を全て却下した結果、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認及び刑の量の不当を招来したもので、これを破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。
平成二年(あ)第三八五号
○ 上告趣意の補充書
被告会社 富士興業株式会社
被告人 関根貞雄
右の者らに対する法人税法違反被告事件につき、上告趣意を次のとおり補充する。
平成二年一〇月三一日
右主任弁護人 東徹
弁護人 寺尾正二
弁護人 三野研太郎
弁護人 太田孝久
弁護人 大掘昭二
最高裁判所第一小法廷 御中
上告趣意書は長文であるためまず大筋をご理解いただきたく、その主な点を次のとおり補充します。
一 本件のほ脱所得は一年で約数百万円、どんなに多く見積っても同約二〇〇〇万円、三年間で最大限約六〇〇〇万円の小規模なものであることをご理解いただきたいと思います。
もっとも、原審は被告会社が一年一億、三年三億もの所得を申告しなかったことは、国税局が調べたものであるから間違いないと決めつけています。
しかし、その所得のうち約八割は売上除外ということでありますから、原審弁護人らが、控訴趣意書でるる述べたように、売上除外を行なったのはハッピー文庫店だけで、直接関与したのは当時の支店長の内田清一のみでありますから、右内田の作成した売上表の日数と、それに書かかれた売上額が判れば、他の除外していない者が作成した売上表の数額とを対比することによって、右内田が除外した額がほんのわずかであることが明らかとなるのであります。
それに対して、原審は売上表による計数は本件の勘定科目と関連性がないから主張自体失当であるとして、証拠調をしようとしませんでした。
しかし、本件のような財産増減法による所得の計算というのは例外的に行なわれるものであることからも明らかなように、問題のあるやり方なのであり、しかも、本件で問題とされている無記名債券は、その帰属を特定することが非常に難しいと言われているのですから、合理性がある限りあらゆる方法で検証すべきであります。
そして売上除外が少額であることが客観的に裏付けられたならば、第一審が認定したような多額の債券を新規に購入することなど不可能であったことが明らかになるわけです。
従って、右の売上表を調べることによって、債券という特定の勘定科目の数額に合理的な疑いが生じることになるのであります。売上表が本件の勘定科目と関連性がないはずがないのであります。
二 右の主張に関しては、国税局の調べで、多額の債券が増加していることが明らかになっているではないかと言われるかもしれません。
しかし、それも上告趣意書で述べたように、銀行の書類処理上現金買(新規買)とされてしまっただけで、真実はより良いサービスを得るため、債券の満期による切り替えの際、他の銀行の債券を現金化して、別の銀行の債券を買った場合、それは実質上は乗換であるのに、銀行の処理上は、前の銀行で債券を現金買したとの記録は一切残しませんから、現金買つまり新規買として処理されてしまっているに過ぎないのであります。(裁判官の通常の生活の中では、そのような世界のことは直ぐにはご理解いただけないかもしれませんが、どうか親しい銀行関係の方に聞いてみて下さい。世間ではそうしたことが、いくらでも行なわれていることがお判りいただけると思います。)
また書類の形式上新規買とされてしまったけれども、真実は乗換である場合が多数多額に存在することは、上告趣意書一三二頁以下で多方面からるる述べた通りであります。
さらに、前述のように売上表から売上除外したのは、ほんのわずかな少額であることが客観的に明らかになったことを考え合せれば、特定の勘定科目である債券が、第一審が認定した程多額に増加したはずはないという合理的な疑いが当然に生じてくるはずです。
第一審において新規買とされたものの中に、乗換であることが明らかになったものがあれば、債券の数額、ひいては当期利益に影響があることが明らかであります。売上表が本件の勘定科目と関係がないといって証拠調をしなかった原審の判断が、多方面から誤りであることが明白になったものと言わねばなりません。
三 次に、原判示は、財産増減法の理解、ひいては法人税法二二条の解釈適用を明らかに誤っているものと言わねばなりません。
原審は、役員借入金という勘定科目は、資産の部と負債の部に同額計上されるから、役員借入金が増えても減っても当期利益に影響がない旨説示しています。
しかしまず、被告会社は被告人から借入しなければならない事情などなかったので、借入等をしたことはないのであります。
それを架空の役員借入金という概念で処理しようとしたことに、そもそもの無理があります。
本件は個人財産の中に多少の会社財産(売上除外金)が混入してしまったので、そのような場合に会計処理上どのように扱うべきかの問題でありまして、借入とか提供とかいった行為があったのでは決してないのであります。
それを提供という行為があって、その提供の際に利息の約定がなかったから、会社に提供された財産が産み出した利子は会社の資産であるというのでは、余りにも乱暴な議論と言わざるを得ません。
結論(所得額)に変わりがなく、当事者が承認すれば会計処理上原審のいうように役員借入金概念で処理することがあることは、弁護人らも十分承知しています。
しかし、本件は被告人がその適用を争っているのですし、それを適用するか否かで結論が異なるのであります。しかも特に刑事事件、それも実刑になるか否かの時に、一般の会計処理がそうであるという理由で安易にそれを適用されたのでは、被告人にとって余りにも苛酷であると言わなければなりません。
個人資産が産み出したものは、個人のものとして会社の資産と峻別して処理しなければ実質課税の原則に反することとなることを忘れてはなりません。
そのように峻別して処理するためには、上告趣意書で弁護人らが述べているように、共有概念で処理する以外にないのであります。
原審は、役員借入金を負債の部から控除しても、その同額を資産の部から控除することとなるから、当期利益に影響がないと説示しています。
期首においてはその通りであります。しかし期末の資産の中には個人資産が産み出した資産が含まれているので、それも控除しなければ実質課税の原則に反するものと言わなければなりません。その点を考慮していない原判示は誤っていることが明らかであります。
また、原審は役員借入金が増えても当期利益に影響がない旨説示しています。
しかし、原審のいう役員借入金は、実質は個人資産でありますから、個人資産が増えれば増えるほど、それによる運用益(利子)も増える訳で、その分第一審が会社の利益と認定したものが、個人の利益であったこととなり、その分だけ会社の利益が減少するのでありますから、役員借入金が増加しても当期利益に影響がないという原判決は、明らかに財産増減法の解釈を誤っているものと言わなければなりません。
四 しかし、何と言おうと、被告人は捜査並びに第一審において自白しているではないかと言われるかもしれません。
しかし被告人が自白をした経緯には次のような事情があったからで、真意に出たものでは決してないのであります。
1 まず、本件の取調にあたって、検察官はいきなり被告人夫妻の逮捕状を請求して、被告人夫妻の身柄を勾留しました。国税局は必要な書類を押収し、これを検討して検察官に告発している以上、検察官は告発した内容の金額の是非から捜査が開始されるのが当然です。即ち被告人らの任意出頭を得て、告発の資料を示して反論の機会を与え、出来る限り詳細な弁解を聞くことが捜査の常道であると思います。それを告発資料を全く示すことなく、反論の機会を与えずいきなり身柄を拘束して、接見を禁止し、弁護人らに対して短時間の面会時間しか与えず、弁護人らの弁護権を妨害し、被告人に対して、自白しなければ何時出られるか判らない等と脅迫して自白を迫りました。通常の市民生活を営んでいる被告人らの税務関係の事件の捜査としては、余りにも乱暴であり、被疑者であった被告人らの人権を無視したやり方であると思います。
2 これに対して司法的抑制の機能を果たすべき裁判所が、誠に安易に逮捕、勾留を認めました。刑訴法は不当な身柄の拘束は人権侵害であると考えています。それ故逮捕、勾留期間を最大限二三日に限定し、本件のような事案では必要的保釈の制度をとっています。にも拘わらず被告人らは何時保釈されるか判らない扱いを受けたため、止むを得ず保釈と引換えに第一審で公訴事実を認めたのであります。
3 一方検察官は、本件において被告人から自白を得ても、将来争われたら面倒になると考えて、本件について強硬に争う姿勢を示した関弁護人らに対し、執拗な解任工作をしました。その内容は上告趣意書第一点でるる述べたとおりであります。確かに何が何だか判らないで、検事の言うままに供述した自白は、真実に合致しているはずがないので、吟味されれば忽ち崩れるのは誰でも予想できます。従って、自白が撤回されないように弁護人の解任工作という卑劣な手段に出たのです。
4 検察官は弁護人の解任に成功するや、更に追討ちをかけて、かつて自己の上司であった元検事の神宮弁護士を弁護人に選任させました。資格のある弁護人が付いているのだから、被告人の防禦権は確保されているというような形式論は、許すわけにはいきません。
なぜなら、検事の推薦により元検事の弁護士が弁護人となり、検察官の顔をつぶす訳にゆかないというのでは、被告人らの利益よりも検察官の公判維持の方が優先されることが明らかであるからです。それでは弁護人がいないのと同様です。
五 次に、原審は、弁護人らが取調請求した集計メモ、売上表について、刑訴法三八二条の二第一項の「やむを得ない事由」に当る疎明がないとして、右請求を拒否しました。
そして、その「やむを得ない事由」に当らないとした理由は、被告人らが第一審当時その証拠の存在を知っていたのに提出しなかったのであるからというのであります。
しかし、その証拠の存在を知っていても、証拠のもつ証拠価値についての認識がなければ、証拠請求をするはずがありません。
また、疎明はある程度の資料があれば良いので、疎明がないはずがありません。
原審は全く理由にならない理由によって、弁護人らの請求した証拠調を却下したものと言わなければなりません。
六 右は上告趣意の主な点を述べたに過ぎませんが、それでも、原審の判断が誤っていることが、あらゆる方面からお判りいただけたものと思います。
御庁におかれましては、原判決を破棄して、事実の取調が出来る真の裁判の道をお与え下さるようお願い致す次第であります。
(以上)